月のたび

日々の日記

「どうせ他人の財布」が本音の五輪組織委員会

2016-10-27 16:47:01 | 政治(・・・?)


このごろ、仕事は一段落。今まで、求人しようか迷っていたのが、急に暇になってきて、そうなると逆の不安が増してきた。仕事全然なくなったら終わる…。

それでも、今日は前から頼まれていた方の仕事で、準備、段取りバッチリだったし、慣れてきたので、ほどほどに要領よく、余裕をもって、のびのび仕事ができました。利益はあまり出てないが、信頼第一でやっていて、それが少しづつ実を結んできているので、まあオッケーなところ。

昼には運転しながら、山中の峠道を通って、木々が次第に色づいていくのをみて、足りない材料を買い出しに行き、思ったより時間はかかったが、次につながるようにサービスもした。

明日は庭の剪定。剪定って、この仕事始めてから、我流で本を買って、ネットで調べて、休日には寺院や庭園に見学に行き、写真を撮り、家に帰ってそれを模写して、っていうことを繰り返して、だんだんとこういう学習法で自信がついてきた。いわばゼロから学んできて、だんだん良し悪しの見分け方までわかってきて、楽しくなってきた。

「学んで時にこれを習う亦よろこばしからずや」ってことです。こういう風に、仕事をすれば、ほかのことに悩まずに済むものな。ありがたい。

それでも、気になるのは北島康介が「プールが使えない」みたいなこと、わざわざ言って、”新しいのつくってよ!”と言いたげな口調のテレビ画面が一日中脳裏に残って離れない。次の日には別の元スポーツ選手が、カヌーがどうの、ボートやらヨットかわからないが、一体、誰の金で施設を作って、そこへ行くための道路まで整備して、それからのちは高額な維持費がかかる。そういうことまで踏まえて、了解して口を開いているのか?ってことだ。ないものねだりの甚だしいこと、他人ながら見苦しいわ。

(どうせ都民が出せばいい、国民の負担になるから大丈夫。次世代に負担させちゃえ!)

なんて考えているのか、いないのか。自分が金を出すわけじゃないから、どれだけ予算があっても足りなくなる。

「日本にも、東京にももうお金はない」ってこと、わかって言っているのか?

「どうせ他人の財布」って思わなければ、できない膨大な出費。

「話が違う!」とおもう。騙された!気分だ。そもそも今度の東京五輪は、「以前の施設を再利用するから、安上り!」って宣伝していたはずだ。私なんか、スポーツにほとんど関心ないけど、楽しめる人がいて、安上がりなら、やればいい、と思ったものだ。

やっぱり騙されてた。

そして、騙したことについての、説明が一切無い!というのも、許せないと思う。誰にも相談せずに、代々木のオリンピックスタジアムを壊したのは一体誰だろう?責任者は出てきて説明してほしいものだ。なぜ壊したのか、だめなら、改築修理して、使えばいいものを、わざわざ金のかかる方法で作り変える理由は、何も説明されない。

これはおかしい。

たとえ施設に不備があって、使いにくくて、それを外国人に非難されても、私が選手ならば、辛いけど、恥ずかしがることじゃあない、と思う。逆にそれの修理に使われるお金が、この国のどこかの誰かのために、役立てられている、と思うならば、世界中から「粗末なオリンピック」という酷評を受けても、一人の心の中で、満足できるかもしれない。私個人の考えだけどね。

もう、裏金疑惑が出ている時点で幻滅ではある。逆になぜ立派なスポーツ選手たちは、裏金疑惑を持たれている連中に問い詰めないのか、自分ら日本のオリンピック全体が一部の連中のせいで疑われるのって、恥ずかしいことではないの?聞きたい。

今から50年ほど前にチェコにソ連軍が侵攻した時、ベラ・チャスラフスカさんという体操のメダリストが、プラハの春に賛同した件で、その後、選手生命を絶たれたそうです。全てのスポーツクラブから除名されてしまった。けれど、彼女は幸せだったと思うわけです。なぜって、たとえメダルが取れなくなっても、自分が正しいと信じることがあって、それを貫き通した。当時の社会主義体制で苦しんで犠牲になっている人々の気持ちは無駄にはできなかった。競技ができなくなって、メダルがとれなくても、自分の主張をつらぬいた彼女は幸せで立派だったと思う。

そして今の時代が、本当に恵まれた素晴らしい時代だってことを、思うならば、これからの誰かのために、この幸せが長く続くように自分たちにできることって何だろう。それを今の日本人のそれぞれが進んでできるならば、もっと幸せになれると思わないだろうか。

朝のニュースで元スポーツ選手たちが施設に不満だってwww

2016-10-27 07:53:47 | しみじみ(滋)
オリンピックで優秀な成績を収めた元選手たちが、東京五輪のいい施設が欲しいーって、朝のテレビで言ってた。

ちょっと情けなかった。私はあんな風になりたくないね。

新施設の建設費と、五輪後の維持費は誰が払うと思ってるのだろう。選手たちに聞いてみたいものだ。森喜朗にも。

「もうお金はないの」ってことが問題で、でなけりゃ借金でツケが将来に残る。子や孫の負担になる。

その事情についてどう思うか、聞いてみたいところだ。

自分の金でもない、人様のお金で、新しい施設を建設してください!なんて、よく言えたものだ。

プールでもボートだのカヌーだの、私はそんなもので、メダルを競っても、少しも立派だとは思わんし、スポーツ競技にはちょっと夢中になれないなあ。あんなもの、立派な施設がなければ、できないものなのかよ。だったら、そんなお金のかかるスポーツは私はできないよ。

「その程度のことで、…」金だの銀だののメダルごときに…、あまりにも悲しい。取れたメダルの数やノーベル賞の数で、日本人が立派になれるわけでもないのに。無駄な欲望、妄想に振り回されて、自分を失って、国家が破綻して、後で目が覚めて後悔する。もう取り戻せなくなったことを、悔やんでも悔やみきれないことを後悔することほど、惨めはないと思うのだが。