自分が何の為に生まれているのか知る由もないが、
人はそれぞれ役割というものを担っている。
その役割を生かすも殺すも本人しだいである。
私はこういうのが好きだ。私としてはこんなのに興味がある、と
人はそれぞれ思惑が潜んでいるものである。それに気づくかどうか、あるいは、
自分というものの中にじわじわと滲み出てきて、なんだかわからないままに
自分の好き嫌いを選択してしまう。何かに操られているかのように質付けられている。
あるものに無頓着で興味など無かったのに、
いつのころからかその世界の人となってしまう。
もてはやされて、しかし、知らない世界に足を踏み入れて知るを知り、あまりの
ふしだらに驚き、隠せず世にだしてしまう。
あからさまに言うも、俗世間にあり批判され失墜してしまう。
しかしながら、知ることのできない世界は知られてしまい、人の浅ましさが暴かれる。が、俗世間である。
人であるための嘆かわしさを皆知るものであるために、ただ嘆いて終わるだけである。
その旨を知らしめた人は、その役割を担って生きている人と
知る人ぞ知り、いろいろ示唆されて、真にめざめて今一度、再び世界に足を踏み入れる。そして、はじめて自分の役割に目覚めて、
まともになれと尽力する。
善いも悪いも、今におかれた環境を生きて、あからさまに嘘を連ねて
世のため人のためとほざく人がいる。羨まれる環境であればあるほど、
その身分になした行為の報いは酷いものである。
‘羨まれる環境であればあるほど’である。心して、なぜ、と今与えられている場を知るべきである。
人は皆、誰かれ例外なく
死ぬものである。
ほんとうに人の為に生きる人の身分は
自らまずしいものである。
自然はすべてを有して豊かで、ただ
まずしく何も無く見せている。
人はそれぞれ役割というものを担っている。
その役割を生かすも殺すも本人しだいである。
私はこういうのが好きだ。私としてはこんなのに興味がある、と
人はそれぞれ思惑が潜んでいるものである。それに気づくかどうか、あるいは、
自分というものの中にじわじわと滲み出てきて、なんだかわからないままに
自分の好き嫌いを選択してしまう。何かに操られているかのように質付けられている。
あるものに無頓着で興味など無かったのに、
いつのころからかその世界の人となってしまう。
もてはやされて、しかし、知らない世界に足を踏み入れて知るを知り、あまりの
ふしだらに驚き、隠せず世にだしてしまう。
あからさまに言うも、俗世間にあり批判され失墜してしまう。
しかしながら、知ることのできない世界は知られてしまい、人の浅ましさが暴かれる。が、俗世間である。
人であるための嘆かわしさを皆知るものであるために、ただ嘆いて終わるだけである。
その旨を知らしめた人は、その役割を担って生きている人と
知る人ぞ知り、いろいろ示唆されて、真にめざめて今一度、再び世界に足を踏み入れる。そして、はじめて自分の役割に目覚めて、
まともになれと尽力する。
善いも悪いも、今におかれた環境を生きて、あからさまに嘘を連ねて
世のため人のためとほざく人がいる。羨まれる環境であればあるほど、
その身分になした行為の報いは酷いものである。
‘羨まれる環境であればあるほど’である。心して、なぜ、と今与えられている場を知るべきである。
人は皆、誰かれ例外なく
死ぬものである。
ほんとうに人の為に生きる人の身分は
自らまずしいものである。
自然はすべてを有して豊かで、ただ
まずしく何も無く見せている。