つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

得心

2015-03-09 | Weblog
自由というのは不自由にしてある。
とても恐ろしいことであり愉快なことでもある。
このことを理解する者がいるなら、荒唐無稽も臨機応変として肯定されるものである。

一つ一つ起源をたどっていくと、果てしなくを得る。
「行き着くという事が無いところに行き着く」という事を知る。それは、
限りなくゼロに近づくがゼロにはならない。だから、限りなくゼロに近づいたどの時点で得心するかだけである。
それは、自分という観察する者がいるという事が答えでもある、に似ている。


人は、自分たちより高度に発達したもの、
人知計り知れないほどの進化を得、その過程にあるものや達したものを全能として神と崇める。
つまり、決して人技ではできないことがいとも簡単に瞬時にしてできるものを理解できずに、故に、
分からないもの、或は恐怖として神とする。それは善神でもあり悪神でもあるもので、
また、人の思いの自由によって成る存在である。

人は神に似せられて作られたといわれる。

人を考えれば、人もまた自分に似せて物を作る。その様に進化の過程に於いて、
自分たちを基本(参考)にしてものづくりは行われる。
人から見て神とする者もまた同じと見て、神は人を作った。遺伝子操作の技術も優れていった。

では、その神は誰に作られたのだろう?さらに高度に進化した者達につくられたとして繋がっていく
ヒューマノイドである。

意識の集合体はエネルギーである。揺れ動くものである。光でもあり熱でもある。微にしてあるものである。
それはゼロという集合体。
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