つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

祈りは悪の行為

2018-10-18 | Weblog
神様がいると思う人でも、神様の姿を見た人はいない。
神様は全知全能であるから、人間の前に現れることなど訳もないことである。
百聞は一見に如かずである。大勢の前に「これでどうよ!」と現れるだけで済む話である。
そして、人間の不可能なことをいとも容易く、大勢の前でやってのけたら、誰もが即信じるであろう
簡単なことである。全知全能とはそういうことである。
が、
どんなに祈っても願っても頼んでも現れてはくれない。なぜ?
それは、神という認識が誤っているためである。
そのために、現れることは無い。だから、いないと言えばいないし、いると思えばいるという、
各自の思いに由る存在となっている。誰もこれと言って証明できないために、
否定もできなければ肯定もできないものとなっている。

「わからないもの」これが神であるために、恐怖となって一心に祈り続ける対象となっている。
祈ることによって思考が停止されるために、恐怖がされなくなって救われたと感じる。
これが神の御加護と認識し、事あるごとに一心に祈る。

祈りは行為の停止である。
停止は死を意味する行為である。なぜなら、
たとえば、獣に狙われたとき、戦うか逃げるかしなければ、やられてしまうだろう。
つまり、じっとして震えていたのでは勝ち目はない。こっちに来ないでと祈っていたのでは、
やられてしまうということである。祈っても願っても動くという行動、つまり、戦うか逃げるかという
行動を起こさなければ死ぬことになるということがわかる。

祈りは恐怖心克服だけのための行為である。その場からの恐怖がなくなったわけではない。
寧ろ、何ら変わらず恐怖は迫っているのである。
一心に祈る行為はどうだろう、行動せず止まっているではないか。
だから、
祈る行為がいけない行為であることがわかってくるはず。祈らず動くこと!肝要である。
人間は、動くもの、一秒たりとも止まっていない動物なのであるから・・・。
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