つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

誤った死

2010-06-26 | Weblog
観自在菩薩は言う。
人は死ねば即あの世となる。それは法則によるものである。
あの世もまた法則によって即この世となる。「色即是空 空即是色」である。

空をあの世の世界としているのは、どんなに修行し悟りを開いても、
生きているときには、けっして知ることのできない世界、わからない世界、一切の反応を示さない世界であるとして、その世界を生命の空白の時間、‘空’と表している。
人は死ねば、あの世を経て来世に誕生する。それは、どれほどの時間あの世で滞在するのかわからない。人それぞれである。ただ、子供は人生経験が短い為に、子供の死後は数年で輪廻してしまう。その理由は、人生経験の記憶が浅く現象世界がつくられない為である。

生前の記憶の現象があの世を作っていくものであるために、死後の世界とは、もともとある世界、天国或いは地獄へ赴くというものではない。自分の記憶がつくる世界である。だから、
生前の記憶がが誤っているなら、赴く先、つくられるあの世は地獄の世界である。
誤りというのは、人生経験する中で、記憶に恐怖が刻まれてしまう人生である。
喜びの記憶には怖いというものは無く、快く楽しく幸せな気分である。
笑顔には恐怖が無いのである。それが正しい記憶であり、一切生命の求める生き方である。
善いことには笑顔がある。つまり何事も善行は幸せに絆を持っている。その反対、
悪いことには悲しみが、恐怖、怯え、苦が付きまとう。悪事は苦の縁となる。
人生、悪事を働けば、恐怖が記憶として刻まれてしまう。これが誤りの人生である。
戦争は悪事であり、人を蹴落としてのし上がっていく社会も悪事である。
自分が楽を得るために他が苦しむのも悪事である。

菩薩は言う。記憶に悪を思わないことであると。
記憶から恐怖を滅していくことによって、死後の世界は恐怖の無い世界となっていく。
つまり、天国。悪いことをしないで生きていきなさいと説く理由である。
道徳を実践し、快く生きた人生には恐怖の不安が無い。不安が無ければ、
逝く先の世界に希望が持てる。死が恐怖とならず、希望の抱けるものとなっていく。
死は絶対誰にも訪れるのだから。

生命は、記憶のエネルギーである。経験の統一された想い、心、想念である。
かたちあるものではなく、不滅である。
一切生命の求める、「幸せ」が本能である。完成されるまで何度も
輪廻転生するものである。

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