つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

象・知、小智

2018-08-07 | Weblog
生きとし生けるもの、それは地上にあるすべての物体である。
知覚や精神が無い物とされているが、存在というのはエネルギーそのものであるために、
[粋]がある。その精粋は自由にして善悪は無いために、絶対善となり、あらゆるものの浄化となっている。
つまり、すべてがゼロになるという有で構成されている。その動きが円運動の自由である。
存在が自由の円運動からなって、それが意思としてのエネルギーである。
おそらく理解されるには時間がいるだろうが、エネルギーが自由であり、円運動である自由を
承知できるならば、そう難解ではない。ある意味単純であることに気づく。
エネルギーが自由であり、自由がエネルギーであり、以って運動であり円となり・、縁となり、
それが意思であることのエネルギーである。ゆえに、秩序が正義である。
だから、計算で証明されていくことができるが、無くなることのない運動となっているために、
辿り着いてはいても辿り着くことに至ることは無い。それがシューニャ、空ろで膨らんでいるもの、
エネルギーの姿形である。姿形は虚空である。特異点である。
エネルギーの外側は不可思議である。そのために、
私達には関係のない物事、事物である。
関係のないことは、どんなに考え思ってみても意味をなさない。それを考える思うことを無駄という。
考えてもしようがないことは考えないことであると道理は訓えている。

エネルギーが意思であるために、宇宙は意思を持っていて、
それぞれの存在の立場によっての思惑で動いている。
それぞれの立場というのは、円運動に由るための変化の刺激に反応して対応している。
その応対によって場面は変化していく、良くも悪くもなる。
宇宙の意思エネルギーは善であるために、正しい経験と正しい応対により、
エネルギーの楽が現れる。間違った経験となっても修正がなされれば、正しい経験となり楽が現れる。
間違った経験に間違った対応は苦のみである。いつまでも苦を輪廻する。

生命が
エネルギーから生じているために、それぞれに意思を持ち、その存在を知ろうとする。
私たちが生まれてきたときに、どこから来てどこへ行くのか知らないように、
そして、それを知ろうと探し回るように、それが人生となっているように、
宇宙エネルギーそのものがそのような意思で存在している。
回る変化に対応して姿形は無常となって、常住である永遠なるエネルギーの本質、
その自由が絶対善であることを理解できれば、輪廻することも無く、
永遠の楽に常住することができる目的として、生命は誕生試練している。
この宇宙も同じである。



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