つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

この宇宙

2018-07-26 | Weblog
善なる神はこう言った。
「この道を行きなさい!ただ子供のように
私の言ったことを素直に聴くなら、
安心はいつもあなたに付くでしょう」

なのに、あなたがたは疑って、違う道を行くのだもの、
どうすることもできません。
そうして、あなたは又私に問います。
「どうぞ助けてください!、私達をお守りください、神様
どうかお導きを、お願いします、お願いします。」と。


エネルギーなる法則は、自由が根本原理で動いています。
もって、それが道理であるために、、如何なる力においても、
変えることはできません。神々とて同じです。エネルギーの法則は、
円運動、故に、永遠となっていて、始まりが終わりとなっています。
当然、終わりは始まりでもあるのです。そのために、
これが絶対となり善となっています。宇宙のあらゆるものがこの法則の下、
存在であります。だから、法則を超えることは存在とならないために、
是が非となることはありません。
自由には、自由であるためになぜそうなのかという疑問は付きません。
自由であるからです。エネルギーの自由だったからです。

生命もこのエネルギーから作られているために、すべてが円運動となっています。
円運動の変化が無常を作り、もって、変化に対応する形となっています。
生命はエネルギーであるために、無くなることはありません。
生命が変化という刺激に対応し、様々な姿形を作り現れています。
様々が自由です。姿形は無常であるために、形を変えていきます。
これが姿形の死という言い方をされますが、姿形が変化していっただけで、
生命というエネルギーそのものが無くなったわけではありません。
姿形の経験エネルギーが生命エネルギーの強弱、つまり、輝き、生命の存在そのものとなっていきます。
経験のエネルギーが記憶となるために、所謂、記憶がエネルギーとなるために、
エネルギーの根本性質、自由という絶対善に沿った経験となっていれば、
存在そのものがありありとしていきます。
ありありとする生命エネルギーは、光り輝き見るからに大きな玉となっていきます。
それはまさに生命エネルギーの幸福そのものを示しています。
そうして、生命エネルギーは輪廻転生という円運動によって、
永遠に繋がっていきます。経験のエネルギーが記憶のエネルギーでありますから、
記憶が心のエネルギーでもあります。
つまり、自分の意思が生命エネルギーそのものなのです。
言い換えれば、意思がエネルギーであり、エネルギーの自由そのものなのです。
だから、宇宙は意思をもって存在していることになります。
秩序があるのは、また、無秩序として見せるのも、自由であるエネルギーの意思なのです。

エネルギーの法則の存在は、自由であり、その意思の下、作られているすべてです。

だから、数式で成り立ち説明はできてはいくが、円がその自由の姿形であるために、
割り切れることはありません。ゼロ・0なのです。永遠唯一であるのです。
それが、意思というエネルギーそのもの、自由。






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