つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

やり直せるということ(卒・業、・去)

2015-05-26 | Weblog
釈迦が悟りを開いた時、それは
あまりに深遠である為に、他に
訓えたところで理解されることはないと知る。

確かにそう思う!

愛は大事であるとみんな知るも、それは利己的にしてある愛。
利他にしてあれば争いなんかないものを。

理解というのは、道理を覚ることで、
道理はあまりに深遠である為に、往々にして誰でも覚るには無理がある。
そのために、道理に無いことは何をしてもかなわないもので、
一切衆生を救うという誓願はかなうことはない。
気づくものだけがかなうものであるが、それも、運命共同体にあり、
皆ただ滅ぶものである。多勢に無勢。
人間という稀に見る資質は、不完全にして高等な動物である。
だから、一旦という空白の間を置いて正され、書き換えられた
12ある螺旋遺伝子は甦りつつある。

魂の不滅こそ最強である。
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