つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

摩訶般若波羅蜜多心経の続き

2018-03-18 | Weblog
「摩訶」とは、みがくうたである。
「般若」とは、一般大衆のことである。
なぜ一般大衆を指すのかといえば、「般」は「一般の人」という意味を指している文字からきている一般の般で
「若」とは、若干名という意味の「若」、つまり、数をあらわしている文字である。だから、「般若」とは、
一般大衆のことである。梵語の発音が似ているとして音写して充てられていると解釈されているが、
そうではない。しっかりとした意味をもっての文字なのである。
「波羅蜜多」とは、悩み多き人々のことを意味している。
波のごとく揺れ動き、蜜蜂の蜜のようにぎっしりと詰まった「羅」、つまり、どうすることもできない悩みのこと。
「羅」は、「維」という文字に網の目をかぶせて、苦悩を表してしている文字。
「心」とは、悩み多き人々の心のこと。
「経」とは、縦を意味する文字。つまり、梵語は英語と同じように横文字で書かれる文字列である。
それを、縦文字である中国文字、漢文に訳されたために「経」とつけられている。所謂、横文字を縦文字に訳したものとしての意味で
「経」とつけている。
故に、「摩訶般若波羅蜜多心経」とは、「悩み多き人々の心を摩く訶の訳されたもの」ということになる。
「苦悩する一般大衆の心をみがくうた」である。
なんの知識もなく、これといった信仰もない人々を、
世俗の苦しみから救うために説かれたものであるために、
要点だけを簡潔に述べたのである。
これは、「是」が日の巡りが正しい、つまり、
太陽が東から登り西に沈むことが絶対であり、変わることのない法則であるとして、
宇宙のすべての法則となっているエネルギーの法則で作られているということを理解しなさいと言っているものである。
無くなることのない法則であることを訓えていて、元に戻る、つまり返ってくることを示していて、だから、
縁起をもって繋がっていくことを説いているのである。正しく法則を理解することによって、
何をどのようにして生きていけばよいのかが見えてくるものである。
文字の意味も誤解することなく受け入れられていくものである。
心経で説く「無」の文字の意味が「ない」ではなく、「無くならない」と正しく理解されていく。
だから、なるべく善いことをして生きていく人は、あの世に恐怖を抱くことが無くなっていくものである。
今日という一日が過ぎて、また、同じ一日が来るではないか。
終わりが始まりであることを、始まりが終わりであること、つまり、永遠ということを
一日という時の流れを通して、自然(法則)は訓えているのである。
私たちは、この事実を見ていて、誤解して生きている。
死んだら何もかも無くなってしまうと・・・。だから、好き勝手に生きる。

昨日という日が今日に繋がっていて、今日が明日につながっていき、
ずうーっと同じ一日として繋がっていくが、昨日と今日と明日は、同じ一日にして違う一日であり、
違う一日でありながら、寸分違わない同じ一日でもある。
是を正しく理解することである。




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