つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

正義、正しいとする意味

2019-06-04 | Weblog
世の中、善いことも無ければ悪いことも無い。
これが普通の常態である。
普通が常態であるために、この状態が正義であり善である。
特に良いことも無いが悪いことも無いために「よし」として善となっている。
悪いことが無ければ「よい」ことではないか。だから、この(宇宙)エネルギーは、
善運動となっている。これが絶対(円運動という繰り返し)となっているために、
このエネルギーは絶対善の動きとなっている。
つまり、繰り返しが正義となり善となるのである。
そのために、悪いことでも繰り返されることで正義となって善となってしまう。
この悪いことが正義となって善となっているのが地獄と呼ばれている世界である。
善悪転倒の世界である。すべてが悪だらけ、苦だらけとなってしまう世界、これが正義となっている世界。
だから、この世界に落ちれば、苦しむことが正しい世界であるために、
何ら反省されることが無く、抜け出すことができなくなってしまう。

絶対というのは、曖昧は無い。

正反対の性質が一つの存在エネルギーとなっている。
そのために、相併せ持ち、どちらに傾くかは自分次第の想像(エネルギー)である。

自身の心持で、善いことも悪いことも正義となって起こる。
それぞれの心持の動きに合わせて現れる。
不都合も、自身の対応次第では好都合となって現れる。或いは、不都合そのままで現れる。
そのまた逆も当てはまる。

自身の心の想いが現象となっているために、自身が変われば現象も変わっていく。
思い道理にいかないのは、絶対善の道理を心得ていないからである、と言える。
難しいようで簡単だ、簡単なようで難しい。
でも、知恵をもって法(エネルギー)を覚れば、すべてが理解できていく。
法の功徳となる。
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