つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

自云云

2018-03-01 | Weblog
人間は、
原子力を使ってはいけない。頼ってはならない。
そこまでの技術力もない。
処分するのも満足でないのに、
力だけを取り出してその恩恵に与っても、それには見返りがつけられる。
それは大きな痛手となる。
神々は言う。
〝あなた方は、フリーエネルギーがあることを知り、それを
作ることができたではないか。原子力に頼るほど愚かではないはずです。
なぜなら、原子力もまた相反してあり、原子の力だからこそ、
必然に相対が現れてくるものであることを読み取れたはずだからです。そして、
フリーエネルギーがどれほど素晴らしいエネルギーであるのか、
隅々まで苦を取り除くものであることを知ったはずだからです"

神々のうちにも進化の度合いがある。
エネルギーの法則に添い、示し申すものであるなら、
自然にして、
原子の力を操ることなく、
フリーエネルギーを操るものである。
それが、自云々、全知にあるものである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島国、日の本の人種から

2018-03-01 | Weblog
日本人の平均寿命はどんどん上がり、皆さん、100年も現実味を帯びている。
その反面、老後破綻は急増、老々介護で悲惨な状況ともなっている。
若かりし頃は普通に働いていて、勤労勤勉であった人達である。
老いとともに体はあちこち痛み出し、働くこともままならなくなる。
どんなに年老いても、生きている限りお金はかかる。
老いれば尚医療費はかさみ、少なからず税金もかかる。
財産がある人ならとりあえず楽に生活できていくのだろうが、
おおよその人は財産などなかったりする。
すこぶる健康であるならよいのだが、健康ではつらつと老いているという人は少ない。
健康でもお金がなければまた切ない。お金があっても病に伏していたりするものである。
お金があって健康で、取るに足らない悩みはあれど、諍いなく暮らしている人は珍しい。
はたから見れば、幸せを絵に描いたように暮らしている人は確かにいるが、
本人からしてみれば、はたで見るようでもなく、というものである。

誰もが行き着く老いという現実。だから、誰もが等しく人として
案ずることなく暮らしていけるために、年金制度がこの国にはあるが、
とうに破綻状態。
老いぼれたら死になさいと言わんばかりの制度となっている。
二か月に一度の国民年金では、特養老人ホームにも入れない。
何が国民年金だ。と怒ったとしてもそれまでよ!
それでも、民間よりは安く済むということで、入所待ち人数が数十万人という。
待っている間に死んでしまうだろうがほとんどであると思われる。
生活苦、悲観して自死する人、無理して働き身体を壊し、死に急ぐ人が増える。
国としては思う所である。
いたたまれず、恥を忍んで生活保護に頼る老人が増え、生活保護費がこれまた急増、
財政を圧迫しているという。
ちゃんと年金を上げればよいものをと思うも、
人の煩悩、浅ましき心にある、格差を好む悪しき面の浮き彫り社会構造。

お金に支配されて、愛を忘れた人の世である。
お金を得たい為に従順に労働に伏して、隷属にあることを幸せと思う。
もはや、鎖につながれた犬の喜びである。

三大疾病にほとんどがかかり、思いもよらず悲惨な最期を遂げる世の中。
どうしてこうも人々が病に侵されるのだろうかと考えることもなく、
ただ自業自得にしてあるとした施策は、神々の思うところである。
人に残されている一つの道の理は、エネルギーの法則の自由というものが、
如何にしてあるのかというところにある。
遺伝子を操作されても、自然は必然元に戻る性質である。
その自由を、日の本の国の人は知る。
善悪のないエネルギーの法則の自由を、故にとして、絶対善であることに気が付くのである。
おおよそ46万年も操られた時が経つが、自然にしては、ごく数分前の出来事である。
時に、特異点に差し掛かる。
神々も知るところにない自由の流れである。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする