死は人の経験とならないために、経験とならない世界から語られたものは
理解できない。
疑うばかりで 信じることができない。
死が経験とならないために、死後の世界が信じられない。
あるとも無いとも分からない。わからない為に、何を言われても疑うばかり。
「無い」ということはどういうことだろうか。
「無」から「有」は生じることは無い。これは道理である。
もし、死んで無になるのであれば 二度と生じることも無く、
一度でも生じることは無かったはず。また、
生じて何の努力、修行が必要だろうか。
無ということには 生きていることについて矛盾となる。
「有」という世界であるために、無くなることのない世界である。
物質的無常であっても、その記憶は形あるものでなく、無くなることはない。
水のように、空気のように相(かたち)あるものでなく、
見えていて見えない、見えないで見えているとするエネルギーである。
エネルギーという「有」である世界。
「有」であるために たとえて「無」を語ることができるが、
エネルギーのないところは「無」であり、存在とならない。そのため、
「無」は思うことも、語ることもできない。
理解できない。
疑うばかりで 信じることができない。
死が経験とならないために、死後の世界が信じられない。
あるとも無いとも分からない。わからない為に、何を言われても疑うばかり。
「無い」ということはどういうことだろうか。
「無」から「有」は生じることは無い。これは道理である。
もし、死んで無になるのであれば 二度と生じることも無く、
一度でも生じることは無かったはず。また、
生じて何の努力、修行が必要だろうか。
無ということには 生きていることについて矛盾となる。
「有」という世界であるために、無くなることのない世界である。
物質的無常であっても、その記憶は形あるものでなく、無くなることはない。
水のように、空気のように相(かたち)あるものでなく、
見えていて見えない、見えないで見えているとするエネルギーである。
エネルギーという「有」である世界。
「有」であるために たとえて「無」を語ることができるが、
エネルギーのないところは「無」であり、存在とならない。そのため、
「無」は思うことも、語ることもできない。