つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

「願わくば・・・」として、まえがきをつけて・・・

2006-03-09 | Weblog
 ー開 経 偈ー

 「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
 我今見聞得受待 願解如来真実義」

 ー大衆に開かれた経の詩(うた)ー

 「計り知れないほど奥深く、この上なく優れた法は、
 この先永久にめぐり会うことはない。
 我、今啓示によって聞き受けた。
 願うに、如来の真実を正しく解されることを。」

 般若心経に‘まえがき’としてつけられている経で、
 「開かれた経の偈」として、般若心経が、大衆に開かれた、悟りのための経典であ
 ることを示したものである。  
 「偈」としているのは、経が詩文の形をとっているためで、
 広大な宇宙の法則は、エネルギーの法則であり、すべての存在の法則で、
 唯一絶対なものであるために、変わることが無く、無くなることが無い法則であ
 るとしている。
 そして、啓示として自分ひとり聞き受待した。
 どうか、くれぐれも如来の云わんとしていることを、心経の文字に
 惑わされること無く、正しく解釈してくれるようにと、
 念をおしている。
 間違えて解されると、間違いが正しいとなって、間違いがただされなくなってし
 い、心経では悟りが開けなくなってしまうからである。

 その如来の法を行じて、観自在菩薩と呼ばれるようになった
 人の死後の世界より、同じく法を修行している舎利子たちに、
 法が縁となって啓示として心経が語られたのである。
 「舎利子」としているのは、「舎利子よ」と呼びかけているのではない。
 観自在菩薩が、舎利子の意識の中に現れて、舎利子の口を借りて
 語っているのである。
 そのために、実際には舎利子が語っている。
 だから、「舎利子は語った」として、心経の啓示はここから始まっている。

 般若心経は全文が啓示ではない。・・・
 

 

 

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