神奈川県中郡大磯町高麗、高麗山の麓に「高来神社」(高麗神社とも呼ぶ)は鎮座している。旧社格は郷社。社名は朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来する。由緒は中世の戦乱等により書物が焼失したため起源は不詳ながら、神武天皇の時代の創建とされる。神武天皇は「古事記」、「日本書紀」に初代とされる天皇である。紀元元年辛酉の紀元前660年に即位し796年に崩御であるからもはや神話の世界である。当社はかつて高麗山山頂に「上宮」、右峰に「白山権現」、左峰に「毘沙門天」を勧請して「高麗三社権現」と称した。祭神は神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊、応神天皇、神功皇后。高句麗が新羅・唐連合軍に滅亡時にその王族・若光を中心に高麗人が相模国大磯に渡来し、後に若光一族を含めた各地の高麗人は武蔵国高麗郡に集められ「高麗神社」を設立した。養老元年(717)には行基が創建した「高麗寺」は建久3年(1192)、源頼朝が妻北条政子の御産加持を命じた祈願所の一つである。江戸時代、徳川家康によって東照大権現が勧請され参勤交代の折に馬を下りて参詣した神社である。平塚市内より国道1号線を大磯に向かって進むと「花水川」に架かる「花水橋」を渡った高来神社入口信号を右折すると「一ノ鳥居」、「二ノ鳥居」が構えられている。緑の木々に覆われた静寂な神域の参道を進むと神門があり正面に「社殿」がある。本殿の右に参集殿、その奥に国重文の「高麗家住宅」がある。(2407)





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