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中山岩太の写真展

2010-07-09 | 持ち帰り展覧会
4月から6月にかけて、美しいモノクロ写真をたくさん見た。
兵庫県立美術館の「中山岩太~私は美しいものが好きだ。レトロ・モダン神戸」展と、
芦屋市立美術博物館の「モダニズムの光華~芦屋カメラクラブ」展。
展覧会が終わって一ヶ月経っても、鮮明に覚えている写真がある。
両方とも、モノクロ写真に魅せられたいい展覧会だった。

             

県美の展覧会は、第1部「蘇る中山岩太~モダニズムの光と影」、第2部「レトロ・モダン神戸~中山岩太たちが遺した戦前の神戸」であり、どちらかというと、時代の空気感を写真が伝えている第2部のインパクトが強かった。

最後の部屋の、安井仲治の「流氓ユダヤ」は、杉原千畝のビザ発行によってシベリア経由で日本にたどり着いたユダヤ人を撮った写真であり、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」のエリザに重なる映像だった。

レクチャールームで、最近発見された、1936年に撮影した神戸の航空写真(当時のトップシークレット)を、須磨から灘まで省線(JR)沿いに西からずっと見ていく神戸大学の先生の講座があった。やがてこの街の大部分は空襲で焼土となる。そんことなど夢にも思っていない6才の母や「少年H」が、この画面の中に必ずいるんだと思ったら、なんだか涙ぐんでしまった。

中山岩太(1895~1949)は、福岡県柳川生まれ。1915年東京美術学校に新設された臨時写真科の第一期トップ卒業生。農商務省海外実習練習生として渡米、1921年にはニューヨークでスタジオを構えている。1926年、エコール・ド・パリ時代のパリに移り、藤田嗣治らと交流、イタリア未来派など最先端の美術運動にも関わる。1927年帰国後、芦屋に居住し、1930年ハナヤ勘兵衛らと「芦屋カメラクラブ」を結成した。

「私は美しいものが好きだ。」という中山岩太の美意識は、
むしろ、芦屋市立美術博物館の、静かな展示空間に表れていた。

右から「無題(勝手にエッグと名付ける)」1940に、「アダム」1940、「イーブ」1940と、55,5×45.1㎝の3つの作品が並んだ空間の前で、長い間、ぼーっと立っていた。

岩太がつくり出す影の美しいこと。一個の卵にどの方向からどんな光をあてたのだろう。

     
       「イーヴ」1940          「アダム」1940

モノクロ写真を撮るということは、光と影を残すことなんだと納得してしまう。
3次元のものを2次元に残すということは、影をつけることなのだ。
「鉛筆で影の濃淡をつけていくことで、立体感を出す」と、デッサン教室の先生が強調する理由が、心底納得できた。

そして、岩太の不思議空間には、動きがあることに気がついた。
「コンポジション」シリーズには、自然界の中から、タツノオトシゴや蝶や貝殻という、おそらくその美しい形状ゆえに、岩太によって選ばれたモノたちが浮遊している。
微妙な光をあてて撮影されたガラス乾板を、4層も重ねて一枚の写真を現像。
その幾層目かにさりげなく置かれたような一本の紐が、画面に動きを与えているのだ。
制作は、昭和10年代なのに、重さを感じない。

今回の持ち帰りは、何といっても「イブ」の左隣にあったこの「コンポジション(蝶)」1941。

              
               (写真は「ACC]芦屋市立美術博物館1998刊、より)

確かに蝶を撮っている。
しかし、その場を去りがたく、振り返って見たとき、
そこには、白いネコが微笑んでいた。
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