某銀行員日記

とある銀行員の日常を書いたブログ。政治・経済・文化・芸能、硬軟取り混ぜて日々思ったことを主に書きます。

宗教

2011年11月30日 00時00分44秒 | 銀行の話
今年ももう一月余りとなりました。
銀行内で出るある通達を見ると、あぁもうそんな時期なんだなぁと思うものがあります。
日本最大の宗教法人である創価学会の年末の寄付の振込の取り扱いに関する通達です。

特殊な手続きが必要であり、また銀行側のミスに非常に敏感なため、手続きについて為替担当者とその上司はこの時期常にピリピリする羽目に。
私がその担当になったことはないので具体的な方法は知りませんが、以前取引先から納付を依頼されたとき、どう処理をすればいいのかわからず困ったことがあります。
担当者に丸投げして事なきを得ましたが(苦笑)

この時期になると毎日毎日何十人もの方が振込用紙と現金を持って窓口に来店されます。
1口1万円からで、5口10口される方も珍しくなく、以前は100口される方がかなり多くいたとも聞きます。
(最近は不況のせいか減っているようです)
詳しくはかけませんが、昔興味本位で振込先の口座の残高を調べてみて、驚いたことがあります。

私は3つの宗教を行ったり来たりする典型的な日本人なので、お布施をする方々の気持ちをわかることは出来ません。
しかし、信じるものは救われるというのが現実にあるのかな、と思った瞬間があるのも事実です。

交通事故で高度な障害を被ってしまったお子さんのために、多額の寄付をし、多数の本を買い、イベント等に参加し、その宗派の代表へ帰依していったお客様がいらっしゃいました。
事故後は寝たきりで何も出来なかったその子が少しずつ身の回りのことができるようになり、銀行の伝票に自分の手で住所や氏名、口座番号、金額を書けるようになったとき、ご両親は今にも泣きそうな目でその様子を見ていました。
その事情を私も知っていたので、記入方法を説明しながら泣きそうになりました。

その奇跡が宗教によるものなのか、それとも両親の献身的な介護によるものなのかは私にはわかりません。
おそらく後者だと思いますが、それを証明するものは何もありません。
そのお客様はきっと前者だと思っているのでしょう。

その出来事があってから、例え「カルト」といわれているような宗教でも、本人が幸福で他者に迷惑をかけないならばいいのではないかと思うようになりました。
何が幸福で何が不幸かというのは主観的な問題ですから、本人以外にはわかりません。
その幸福がその人にとって最も感じることが出来れば、表現方法を変えるならば効用が最大化できるのであれば、その宗教の信者でなければ詐欺としか思えないようなことでも自由にやってもよいのではないか、と思うのです。
もちろん後になってから「騙された」と言うのは自己責任としか言えませんが。