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江戸時代の家老から見える参謀の役割

2018-12-25 07:39:18 | 歴史から学ぶ

@「参謀、重役の役割」、この書にあるのは江戸時代の家老の生き様を「藩主の補佐役」として現代に伝えるものを書き下したものである。その中でも栗山大膳の「二代目ワガママ藩主」の藩への忠誠心、幕閣への実行力は、現代の「手に負えない二代目経営者」への献身的努力と映る。また、「赤穂藩の大野」は赤穂浪士の仇討ちで隠れた仕置家老の藩の借金返済などの苦労と、城代家老大石等が吉良家討ち入りで失敗した後の次の仇討ち計画(説)を企てていた事である。味方を騙し藩を裏切ったとして失踪し、仇討ちを必ずや実行するとの決意を構えていたことは家老としてやるべき仕事「業」を貫いた武士道があったのだと感動した。 現代はここまで「業」を責任追求し、経営者を庇い、社の命を貫くことはないだろうが「補佐役としての心構え」を一つ得た気がする。(書籍の画像が無い)

『名家老列伝・歴史に学ぶ実力重役の条件』童門冬二

  • 歴史に学ぶ実力重役の条件「家老の要素とは、トップや組織に対する忠誠心、責任感、決断力、実行力、情報力、それに人望。人間関係での相互信頼、諫言力。この書は実務的な補佐役とは「家老たちの生き方・人間的な面を探る」を研究した書である。
  • 良い家老と悪い家老との分け方はかなり歴史的背景などから問題あり、歴史上の誰もが認識ある家老の例として
  •             「良い家老」大石内蔵助・恩田木工・片倉小十郎
  •             「悪い家老」栗山大膳・調所笑右衛門・大槻伝蔵
  • 「黒田藩・栗山大膳」二代目忠之を補佐する
  •             二代目の態度は戦争を知らない「ツッパリ」若い藩主、誰もが敬遠する中、藩主はとにかく古い重役を敬遠し、家老等の話も聞かない態度を示したことで、様子見をする事にした。だがことはうまく運ばない事になる。
  •             先代の意思と伝統に筋を通して納得させる為、幕府と事前に協議し告発、自分を犠牲に藩主を守る態度を示した。根回しで世論を喚起させ家老への味方を囲い込んだ。
  • 「紀州藩・安藤直次」藩主の足に痣を作った男
  •             徳川家康の第10男、紀州藩主徳川頼宣の家老
  •             安藤は命がけの諫言をした男で「何をするべきか、何をせざるべきか」を明確に示した。家康に対しての「鯉の飼育」「農作物作り」など藩主のすべき事ではない事を諫言した。藩主としてすべき仕事は農民の暮らしを良くする事で飼育することではないなどと言明した。
  • 「唐津藩・二本松大炊」
  •             金よりも名誉と理想を追求した水野忠邦への補佐役家老
  •             水野は幕閣になる為浜松への国替えを要望しあっさり家老に反対される。それは穀高の違いから財政的に悲劇的な結果になると予測した。水野は幕閣になるが天保の改革で失敗、失脚する。
  • 「真田藩・恩田木工」
  •             信州松代藩主真田幸弘の家老「日暮硯」
  •             成果や結果だけでなく「その過程」が大切であると、財政改革から借金を棒引きにし踏み倒す方法が骨子となった。財政緊縮はトップから全藩士に、一族家族に誓約書を書かせ意識改革を断行した。
  • 「田原藩・渡辺崋山」渥美半島にある藩
  •             家臣等は財政難から他の藩から持参金付き養子を求めたが贅沢三昧で失敗、渡辺は家臣等の再教育で人間的な道義心を重視、特別な能力や技術を持った藩士を養成した。自らは 内職・絵を描き生活の糧にとした。外部から専門家等を招き、農作物の栽培、商品価値を倍増させた。
  • 「南部藩・楢山佐渡」時代は新政府との戦い
  •             時代の流れをよく理解し情報を得ていた。京都での新政府はならず者の贅沢三昧姿から新政府に反旗、だが新政府等の武力弾圧で幕府側を鎮圧する動きに変わる。「人生意気に感ずる」で生きる
  • 「赤穂藩・大野九郎兵衞」赤穂藩の仕置家老
  •             大石内蔵助は城代家老・戦争での指揮をとる役
  •         大野は、城明け渡しに同意、まず藩札回収で借金への返金のため一族へのかき集めに苦労し、離れる藩士への退職金を与える。その後失踪したという説があるが吉良への復讐する為山形米沢藩内で篭り殺戮を計画していた説がある。
  • 「熊本藩・堀平太右衛門」
  •             熊本藩細川重賢の家老「癖の多い人間」として採用
  •             細川藩は借金を返済しないワースト1として商人から評価されていた。財政難は急務の仕事として癖のある、意見をズケズケ言う人材(家老)を確保し、改革を進めた。当初は「休まず・送れず・仕事せずの無事大過ない」藩であった。堀は「心の財政白書」を藩主自ら出す事を諫言、藩士等意見を直接藩主が受け付けると言う趣旨を出す。藩全員が理解し、克服させる事を目的とした。堀は自らの体で鞭を打たせ罰の体験から実験主義を主に、人作りを提言する。学校の資金も周りを説得し集め「金のない時こそ、人間が大事で、人間を利用するのではなく、活用する事」を諫言した。教師に対しては「人作りの大工とし『木くばり』をし木と同じように育てて欲しい」と説明。堀は「分権と責任」を正しく理解し、藩主の理想を具体的に形に実行した
  • 「備前藩・熊沢蕃山」陽明学のブレーン
  •             近江聖人と云われた中江藤樹の弟子を採用し土木術から湾岸整備をする。蕃山は理念を現場で主張、具体的な方法論ももち、近代化に貢献した。屈することがないことで亀裂が生じ罪を受ける。
  • 「彦根藩・長野主膳」
  •             井伊直弼の師であり直弼が苦労した「埋木舎」時代からの補佐役で安政の大獄で罪人リストを作った人物。井伊直弼は「世の中に甘ったれすぎる勢力」を成敗する完全主義者で、主膳は出世には無欲な多才で汚れを買って出る人物だった。井伊直弼には時代の流れに対する認識不足があり、主膳からでは情報不足だった。