今日は落ち着かないですね。
1年に1度くらいはこんな日があってよいのかもしれません。
でも忘れないで、普段のあなたも冴えてない日のあなたも
結構かっこいいのに誰も気付かない日も
そこにいることを私は知ってる。
薄氷のように今にも消えそうなときが一番好き。
だって必ずまた満ちていくと教えてくれるのだもの。
明日からはまた人々は見向きもしなくなるけど
私がちゃんと相手してあげる。
今宵の写真ではなく、日頃のストーカーの証拠写真をどうぞ。
(嘘です、見惚れすぎて撮りそこなっただけ。もーばかばかばか)
たまたまではあるのだけれど星野道夫さんの特集を観ました。
私はこの「たまたま」という偶然を常に必然と捉えるようにしている。
その時間にたまたま部屋にいて(出かける準備をしながらも)
テレビがたまたまそのチャンネルであっただけであり
名前を拝見したことはあっても知るきっかけには至らなかった。そこへの「たまたま」。
たまたまたまたま書いてるとどこまで た、と ま、を書いたのか判らなくなるのはしょうがない笑
彼の書いた「旅をする木」という小説の一節を大森南朋さんが朗読をしていました。
その中に
僕はあるひとつの思いに捉われるようになった
どこにいても東京の雑踏の中にいてもヒグマのことを考えてしまう時がある
今この瞬間に日本のどこかの山でヒグマが生き、大木を乗り越えて歩いていると思うと不思議でしょうがないのだ
ざっと流しながら観ていたテレビなので細かい文節が違うことはご容赦願いたい。
ただこの一節でそれまでの作業を中断しテレビの前に陣取ったのです。
誰しも色んなことを考えています。私も同じように日々考えたりどうしようもなく感じてしまうことが多々あり
他の人が同じように思うのかなどとどうでもよかった。自分の中の瑣末な想いを人と検証するなんて機会はあまりない。
例えば
パラオのとある水深30メートルのポイントで
バラクーダの壁をぼんやりと見ながら
今この時間、東京はいつも通り会社に行く人や道ゆく人で溢れているのかな。
例えば
モルディブの海底で水面にのぼってゆくエアーを見送りながら
友人たちはたった今、何をしているのだろう。
例えば
東京の空気に揉まれながら満員電車からホームに吐き出されたとき
この瞬間に海の中は相変わらず違う景色をまとい
人類など関係なくたゆたっているのかな。
そうぽっかりと考えてしまう自分を誰かに教えたいわけでも共感したいとも思っていたわけではないのに。
この瞬間だけは必ず海に潜っていることが条件となり
日常の息苦しさに喘ぐときに海を思い出す。
久しぶりに小説以外の本を買ってみよう。