続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』2543。

2017-01-31 06:28:50 | カフカ覚書

もしかしたら、母も、わたしたちみんなの苦しみを担っていたかもしれません。母は、それが自分のうえにおそいかかってきたから担ったのです。そして、母は、長くは担っていませんでした。


☆もしかしたら、気分は死を偽るためだったのかもしれません。気分に打ちのめされていたので、ごまかしたのです。いつまでも気分をごまかしてはいませんでした。


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