雪月花 季節を感じて

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ごはんは、たいせつ。

2006年10月12日 | くらしの和
 
 夏の終わりころに秋田のお米屋さんに注文した“あきたこまち”の新米が届きました。「福よ香」という名で、玄米はもちろんあきたこまち100%です。近所の店から買うのでなく、原産地から直接送っていただいたのは初めてだったので、米の入った袋をよく見てみました。使用された農薬や化学肥料の量、生産者の名・顔写真・在所‥等々が明示されていて、米を作り消費者に届けるまでの農家の方々のご苦労が伝わってくるようでした。米だけでなく、実をたわわにつけた一本の稲穂と蕪村の句カードも同封されていました。(上の絵です) 土鍋ですと炊飯器より早くてふっくらと炊けると聞いたので、さっそくこの新米でためしてみるつもりです。

 「雷雨の多い年は豊作になる」と何かの本で読みました。「稲妻」という言葉はもともと「稲夫(いなづま)」だそうで、「陰」である大地と、「陽」の稲夫が結びついて豊穣をもたらす‥という考えは、前回の餅つきと同様に陰陽道に由来するのでしょう。大地に育つ稲と稲夫が結婚をして、米や野菜を作ってくれる‥、神さまのなさることは、なんてダイナミックでロマンティックなのでしょう! でも、この夏は雷雨だけでなく、自然災害もすくなくありませんでした。各地の農作物の作況はどうだったのかしらと心配です。


 最近、tsukinohaさんがブログで紹介されていた本『国民のための百姓学』(宇根豊著、家の光協会 ※)を読み、とても勉強になりました。著者で農業を営む宇根豊博士は、農業が、他業種と同様に生産性と利益を上げるための科学に頼り、「安全」で「おいしい」という近代的価値観のみを追求しつづけている現実を批判し、「農はカネにならないものも生産してきた」という“まなざし”をもとうではないか─ という新しい農学を提唱しています。
 わたしは、この本を読むまで、「ごはんこそ、いのちの糧。だから、ごはんをおろそかにしてはいけない」という思いで台所に立っていました。ところが、宇根さんのまなざしはもっと深いのです。食物が人間の命の糧であるという考えは、「人間の役に立つ」という価値基準のみで食物をとらえた人間本位の勝手な考えにすぎないのであって、「稲が田んぼで育つから、カエルも一緒に育つ。カエルを、‥『自然』と呼んでもいいだろう。つまり、その田んぼのごはんを食べる人間がいるから、その田んぼの自然の生きものが育つのである。百姓は、その取り次ぎをしているのだ」というのです。分かりやすいように、こんな図式も示されていました。

 茶碗一杯のごはん = 3,000~4,000粒の米
              = 3株の稲穂 = 35匹のオタマジャクシ


 35匹のオタマジャクシのほかに、1匹のトンボ、5,000匹のミジンコ、11匹の豊年エビなども育ちます。このように、ごはんが田んぼの自然とつながっていることに気づけば、ごはんを「命の糧として食べる」だけでなく、一歩すすんで「自然を育て、守るためにごはんを食べる」と言い換えることができます。さらに、その自然を作り出すお百姓さんのためにごはんを食べている、とも言えるのです。

 ある農家が、都市計画道路を田んぼの真中に建設する計画に反対するため「田んぼを守ろう」と地域に働きかけたところ、反応がないどころか「減反するくらいだから田んぼなど余っているのだろう」といわれたため、視点を変えて「メダカの泳ぐ小川を守ろう」と言い換えたところ、道路建設反対運動を支援する動きが出てきたそうです。その農家は、地域の住民に呼びかけてメダカの観察会を開き、こう語ったそうです。「この小川のメダカは、田んぼで産卵します。だから、メダカを守るためには、田んぼを守らないといけないのです。でも、この田んぼでとれた米を買ってくれないなら、この田んぼはいらなくなります。‥‥この田んぼでとれた米を買う人は、この田んぼを自分の田んぼと思って、いつでも入っていいですよ」。週末になると、この田んぼは家族連れでにぎわうそうです。宇根さんは、これこそが、人とメダカ(=自然)が互いに助け合う真の「共生」だといっています。
 なんということでしょう。現代の農は、もうお百姓さんの力だけでは田んぼと米を守ることができず、絶滅危機に瀕しているメダカの力すら借りなければならなくなっている─ そんな事実をつきつけられて、わたしは愕然としました。そして、農にたずさわる多くの人たちが、いまもこのことに気づいていないと宇根さんは嘆いています。

 お百姓さんたちは、慈雨が降ると「よいお湿りだ」といいますね。稲の気持ちになれるのが日本のお百姓さんなのです。カネになるもの以外に、たくさんのカネにならないたいせつなもの─“めぐみ”─を、お百姓さんたちは生産性や効率性とは無縁の自然の中で、育んでくれているのです。


 子どものころ、祖母からだったのか母だったか忘れましたけれど、「ひと粒の米には七つの神さまがいるのだから、粗末にしてはいけません」と教えられました。いまのわたしたちは、見えないものへの畏れと感謝の気持ちを忘れかけていないでしょうか。

 形見とて何を残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉 (良寛)

 わたしたちが後世に残すべきものは、こういうものではないでしょうか。宇根さんはこの良寛の歌を引いていいます。「実は、こういう四季(自然)は、百姓仕事が支えている。なぜなら、田畑にいる生きものは、すべて、百姓仕事によって育っているのだから」と。

 この国のお百姓さんが手間ひまかけて栽培した米や野菜や果物のことを、あらためて考えてみましょう。わたしは、まずできることから始めようと思っています。国産の食材を使うこと。食事の前に「いただきます」のひとことを忘れないこと。茶碗一杯の米に、米農家の存在だけでなく、自然と人とが調和した美しい田園風景と、そこに生きづく生きものや草花の姿を思ってみること。‥‥


 子育て中のお父さんお母さん、毎日口にする食物のことにすこしでも関心のある方は、ぜひこの本を読んでください。できることなら、『国民のための‥』を『美しい国づくりのための百姓学』に換えて、安倍新首相と松岡農林水産大臣にも読んでいただきたいものです。


※ 『国民のための百姓学』は、雪月花のWeb書店で紹介しています。
 

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19 コメント

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Unknown (tsukinoha)
2006-10-12 21:41:36
雪月花さん、こんばんは。

この度は記事の紹介およびトラックバックをありがとうございました。

何よりもこの本をお読みいただいた方がひとり増えたというのが、大きな喜びです。

農についても、文化についても、毎日の生活のなかでのちいさなことを、ひとりひとりが気がついて、意識を変えていかなければならないのだと思います。首相にはぜひ読んでいただきたいものですね・・・。

今年のあきたこまちは、塩害(日本海を経由してくる台風などがあると起こる)もなく、お米もまずまずとのこと。「いただきます」を大事にしたいですね。
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ごはんはたいせつ (吉天)
2006-10-12 22:38:50
雪月花さん今晩は。

子供の頃我が家は、百姓を致しておりましたので学校から戻ると農作業を手伝いました。当時はすべて人の手によるもので、田植えから刈り取りまで、今思えばかなりの重労働でした。農薬も使わないので、どじょうも蛙もいきものは、田んぼの中で共生できました。秋になればイナゴもでて、とらえて佃煮や、ふりかけにして食しました。

米という字は八十八と書くとおり、米になるまでの百姓の手がかかるといわれ、ひと粒のご飯たりとも無駄にしないというのが、日本人共通の認識でした。

米百俵が前総理のキーワードにされましたが、本当に一俵の尊さを、分かってのことだったのでしょうか。

機械化農業になっても、新幹線の車窓に広がる美しい田園風景はかわらず、稲作は日本民族の証との思いを強く致しております。

ご飯を中心とした和食の食生活でバランスの取れた栄養は生活習慣病になりません。

「いただきます」「ごちそうさま」の感謝の言葉をそえて。
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ごはん弁当 (雪月花)
2006-10-13 08:23:20
埼玉県の妻沼(めぬま)の小学校で、児童に週2回だけ指定の弁当箱にごはんのみを詰めて持参させ、おかずは学校給食が用意して、ごはん弁当を持参しなかった児童にはごはんも分けられるようにしている、という話が昨日の新聞に紹介されていました。この「ごはん弁当」持参の試みをつづけた結果、家庭で毎朝の炊飯の習慣がつき、朝食(パン食も含めて)を食べて登校する児童が9割を超えるようになったのだそうです。朝もごはん、お昼もごはんですから、妻沼の米の消費量は確実に上がったことでしょうし、何よりも、ほとんどの児童が朝食を食べて登校するようになったことは喜ばしいことです。全国の小学校に、この「ごはん弁当」を広めることができたらよいのに‥ と思いました。



> tsukinohaさん、

このたびはほんとうに有難うございました。tsukinohaさんのようにお子さんのいるご家庭では、毎日のごはんと常に真剣に向き合っていらっしゃることと思います。おっしゃるとおり、ひとりひとり、一家庭一家庭が、食や文化に関心をもって取り組んでゆくことで、そこから学校や地域へと意識がどんどん広がってゆくとよいですね。

あきたこまちの新米はまもなく封を切ります。今年の米は例年よりやや粘りが強いと聞いています。この米が育った田んぼや周辺の環境のことを思いながら、(新米ですから水加減に注意して)おいしく炊けるよう、がんばりますね ^^



> 吉天さん、おはようございます。

吉天さんは米作農家で米作りを実際になさっていたのですね。貴重なお話をうかがうことができて、たいへんうれしく思います。ご家族みなさまで力を合わせて作る無農薬の米は、まるでわが子を育てるような思いで向かう作業だったことと思います。米という字が「八十八」から成っているように、それだけお百姓さんの手がかかっている─というお話は、わたしに子どもができたらぜひ伝えたいです。

近代化により、農薬の散布やあらゆる作業が機械化されて、農家はこれまでの重労働から開放され、むかしに比べたら時間のゆとりもできたのでしょう。その反面、田畑で機械を動かしている孤独な高齢のお百姓さんの姿が目立つようになったと、宇根博士はいっておられます。そんな高齢のお百姓さんたちに、宇根博士が「いつの時代がいちばん良いか」と聞いたところ、ほとんどのお百姓さんが余暇のできた現在ではなく、「昭和30年代ころまで」と答えたそうです。つまり、家族みんなで農作業をしていたころのほうが、たとえ手間のかかる重労働であっても充実していた‥ と感じているらしいのです。これもまた、近代化のもたらした皮肉な結果なのでしょう。

米飯とともに数種のおかずを摂取すると、栄養のバランスがとりやすいと聞いています。いただくたくさんの“いのち”にも感謝しつつ、「いただきます」「ごちそうさま」を忘れないようにします ^^ 有難うございました。
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お米は、日本人の元 (あべまつ)
2006-10-13 08:31:41
雪月花さま、おはようございます。



今、本当に新米の美味しい時期ですね。

ぴかぴかの炊きたてご飯が、最高のごちそうです。



我が家のベランダに遅まきながら、息子が育てた稲が実ってきました。これじゃ、おにぎりができるほど収穫はできないけれど、試食が楽しみです。



あの、マイク真木さんがアメリカに憧れて、何十年もアメリカ人になる努力したそうですが、全然ダメで、結局、米作りだと思って、今米作りに燃えているたそうです。日本人になることが、世界の人になるのだと言うことでしょうか。説得力ありました。



日本の米作り、自然と共生した魂のつながりを感じます。農家にもっともっと感謝してもいいですよね。頂きます!!
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一粒のお米から (夕ひばり)
2006-10-13 11:28:28
こんにちは♪

一粒のお米から、こんなにも思いを広げられるものなのかと感心しながら読ませていただきました。

何故か、ウイリアム・ブレイクの詩の一節「一粒の砂に世界を見る」を思い出しました。



いつか、多摩川沿いの田んぼに鴨が泳いでいるのを見かけたことがありますが、もしかすると合鴨農法かしら?と今になって思います。



『国民のための百姓学』良いご本のようですね。

私はどうもフワフワと日々過ごしがちですので、たまにはこうした本を読んで、物事をキチンと考えたいです。
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ごはん大好き! (みい)
2006-10-13 16:00:53
雪月花さん こんにちは。

 稲穂が頭を垂れて秋風に揺らいでいます。我が家の裏には、きれいな田園風景があります。時々白い鷺の姿も見えます。日本の美しい風景が残っています。でも水路はコンクリートで固められ、昔住んでいた小さな生きものは、激減したようです。田んぼもだんだん宅地に変わり家が建っております。

農家は、後を継いでくれる者がいなくなって、お年寄りは、大変そう、手放すことを考えている人が多いようです。

「美しい日本」をとおっしゃる総理に考えてもらいたいことの一つですね。



私も主人も御飯党、たきたてのごはんは美味しいですよね。農家の皆さんに感謝(改めて)

「ごちそうさま」そして「ありがとう」
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山間の農村はやがて廃村へ。 (道草)
2006-10-13 18:33:56
「中学生朝の眼鏡の稲に澄み(中村草田男)」。見渡せば、どこまでも続く黄金色の波。棚田の稲はそれぞれの田圃で微妙な色合いに染まり、朝の光にいっそう輝き揺れていました。その田圃が削減されたのはいつの頃からか。日本人が米を食べなくなり、減反政策で至るところ休耕田が無様な地肌を見せている、少し淋しい秋です。米が売れないと、百姓は収入が減って生活が出来ません。それに、最近の売れる米は、「何とかこまち」「何とかひかり」の有名な地方のブランドに集中しています(そうでしょう?)。主力の米でさえ売れなくなったのですから、「カネにならない物」を作って、百姓はどうして暮していけるのか。この理屈を現実化させるには抜本的な国政が必須と、友人の百姓は苦笑しています。昔には「カネにならないもの」も作っていたというなら、それは百姓の多大な犠牲(貧困)の上にそれが成り立っていたに過ぎないからです。

山間の村の農業は超重労働で、労働効率は極めて低い職業です。棚田の風景は見る側には結構な眺めなのですが、そこで働く百姓は絶大な労苦を強いられます。そのうえ減反政策が拍車を掛け、農業以外に働く場所のまるで無い辺鄙な田舎では、農業では食べていけないので後継者が全く居りません。丹波の田舎では、若者は高校を卒業すると進学や就職でほぼ全員が都会へ出て行きます。かつての私の古里は、この数年間の新生児の出生がゼロです。7校(分校を含むと10校)あった小学校は今では3校に減り、近い将来1校に統合予定です。1校だけある中学校は、50年前には750名だった生徒数が今は200名を割りました。人口は全盛期の60%で、その内60歳以上の高齢者が50%を占めています。いずれ百姓は絶滅するのではないか、と友人の哀しい予測です。百姓が絶滅することは廃村になる、と言うことです。宇根博士は、立派な副業(そちらが本職かもしれませんが)があるから食べてゆけるでしょう。古里でもメダカやホタルを復活させるなどの動きはあり、それなりに努力はしています。しかし、気紛れに訪れる観光客相手の単なるイベントにしか過ぎず、そんな事(素晴らしい意図なのですが)で農家の生活が成り立つ筈もない、とのことです。

 米(一部の有名ブランド品を除いて)が売れない。「売れないモノ」は、元々売れないから収入は見込めない。子供が生まれず老人ばかりの田舎では、住民(老百姓)の数は毎年確実に減ってゆきます。今や、メダカの力を借りようとしても、そうするニンゲンが居りません。米が命の糧なら、小麦や玉蜀黍や芋も、それを主食にする人にとっては同じように命の糧です。今は、その命の糧とする物が、好みに応じて選べる時代になっています。「美しい国」づくり政策の一環の中に、かつては稲作を主力としていた過疎の地域に目を配り、美しかった時代の姿を、そしてそれ愛でる多くの日本人の心を復活させようと意図する項目があるのかどうか。見渡す限りの黄金の稲田は、脚光を浴びる特定の場所では存続してゆくでしょう。また、百姓の原点に還ることも可能かもしれません。しかしそれは限られた場所の、少し大規模な「植物園」と呼ぶのがふさわしいのかも分りません。

 私は、「ごはん」が大好きです。今でも食べ過ぎて、しょっちゅう叱られています。



「稲作挿話」   宮沢賢治 



あすこの田はねえ

あの種類では窒素があんまり多過ぎるから

もうきっぱりと灌水(みづ)を切ってね

三番除草はしないんだ

  ……一しんに畔を走って来て

    青田のなかに汗拭くその子……

燐酸がまだ残ってゐない?

みんな使った?

それではもしもこの天候が

これから五日続いたら

あの枝垂れ葉をねえ

斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ

むしってとってしまふんだ

  ……せはしくうなづき汗拭くその子

    冬講習に来たときは           

    一年はたらいたあととは云へ

    まだかゞやかな苹果(りんご)のわらひをもってゐた

    いまはもう日と汗に焼け

    幾夜の不眠にやつれてゐる……

それからいゝかい

今月末にあの稲が

君の胸より延びたらねえ

ちやうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ

葉尖を刈ってしまふんだ

  ……汗だけでない

    泪も拭いてゐるんだな……

君が自分でかんがへた

あの田もすっかり見て来たよ

陸羽一三二号のはうね

あれはずゐぶん上手に行った

肥えも少しもむらがないし

いかにも強く育ってゐる

硫安だってきみが自分で播いたらう

みんながいろいろ云ふだらうが

あっちは少しも心配ない

反当三石二斗なら

もうきまったと云っていゝ

しっかりやるんだよ

これからの本当の勉強はねえ

テニスをしながら商売の先生から

義理で教はることでないんだ

きみのやうにさ

吹雪やわづかの仕事のひまで

泣きながら

からだに刻んで行く勉強が

まもなくぐんぐん強い芽を噴いて

どこまでのびるかわからない

それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ

ではさやうなら

  ……雲からも風からも

    透明なカが

    そのこどもに

    うつれ……

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祖父母からの贈りもの (雪月花)
2006-10-13 21:22:51
母の実家である愛媛の家は精米屋を営んでいました。この季節になりますと、近隣の方が「お米、ついてくれるかいのぉ」と言いながら、祖父母の家に玄米を持ちこんできたものでした。祖父母が東京に送ってくれた米は、米びつに入れておきますと、蟻くらいの小さな黒い虫がわくことがありました。この虫を「米虫」と呼んで、ちょっと気味悪く感じていましたけれども、米虫も稲と一緒にお百姓さんに育てられ、実りの季節に合わせて成虫になったのかしら‥ と思いますと、いまさら愛しくなります。

いつぞやの米不足の年も、祖父母のおかげでわが家はタイ米やカリフォルニア米を口にせずに済みました。ほんとうに有難かったです。



> あべまつさん、こんばんは。

いま、たくさんのメディアで新米を売りこんでいるのを見かけますね。広告には、必ずといってよいほどピカピカの炊きたてごはんやおむすびの写真が添付されていて、見ているだけでほっかほかのごはんの香まで感じられて食欲が増しますが、やはり消費者中心の広告ばかりですね。

お子さんとご一緒に育てた稲の収穫、楽しみですね! 宇根博士も、本書の中で子どもたちにぬめりのある田んぼの土の感触を覚えさせたり、一年をとおして米作りを体験させることの重要性を説いています。そういえば、小学生のときは米作りの授業があって、屋上で稲を育てたのを覚えていますけれども、いまも小学校で行われているのでしょうか。

マイク真木さんの経験談は興味深いお話ですね。ベストセラーの『国家の品格』でも、真の日本人になることこそ国際人への第一歩だと、著者の藤原正彦氏がいっておられたのを思い出しました。

「自然との共生は魂のつながり」─ あべまつさんのこの言葉を、しっかりとこころに刻みたいと思います。有難うございました。



> 夕ひばりさん、

ウィリアム・ブレイクだなんて‥、懐かしい名を聞きました。ブレイクは、学生時代の英詩の課題のひとつでした。内容はもうすっかり忘れてしまいましたけれども‥(笑 ブレイクの言葉「一粒の砂に世界を見る」はとても印象的です。わたしも、宇根博士の本から、いままで見えていなかった大事なものを教えていただきました。

羽村の多摩川沿いにも水田がありました。毎年、水を引く前の季節はチューリップ畑になり、夏には古代蓮が咲くことで知られているので、夕ひばりさんもご存知かしら。田んぼは(わたしが羽村に住んでいたころは)土の畦でしたし、水路には鯉や小魚がたくさん泳いでいて、お気に入りの散歩道でした。

安倍総理の著書『美しい国へ』に、農家の明るい未来は描かれているのでしょうか。目をとおしておかなくてはいけませんね。



> みいさん、

稔るほど頭を垂れる黄金の稲穂の姿は、日本の宝のひとつですね。いつも、みいさんのお住まいの周囲に広がる青々とした田んぼや、そこに舞い下りる白鷺の姿をとらえた写真をうらやましく拝見しています。青田をわたってくる涼風も、お百姓さんとそこに息づくすべての生きものからの贈りものですね。

農家も高齢化がすすみ、畦や水路の管理をしきれなくなってコンクリートに変わってゆきます。畦や水路だけでなく、埋め立てた土地に住むわたしたち人間の暮らしは、そのほかの無数の生きものの犠牲の上に成り立っているということも、この本を読んであらためて実感しました。人は、不変のものに安らぎを見出します。みいさんのゆたかな暮らしを支える田んぼの風景が、いつまでも変わりませんように‥



> 道草さん、

厳しいご意見と農村の現実の姿‥ 貴重なお話をうかがわせていただき、こころから感謝しております。今回この本のことを書いたことで、ご家庭の主婦、以前米農家だった方のお話、そして、現在農業を営んでいらっしゃる道草さんのご友人さまのお話に触れることができ、農のことはまったく無知だったわたしが、農についてじっくりと考える機会に恵まれました。

“あきたこまち”というブランドに飛びついたわたしも、「安全」で「おいしい」という近代的価値観にふりまわされている愚か者にすぎません。そのことにつきましても、宇根博士は「食べものは本来選ぶものではない、“引き受けて”いただくものだ」とおっしゃっています。

「むかしから、カネにならないものの生産は百姓の多大な犠牲(貧困)の上に成り立っていた」というのは、ほんとうにそうなのでしょうか。このことについても、宇根博士は「むかしから百姓は貧乏だった」という考えが一般化していることを指摘して、実はそうではなかったことを、いくつかの史実から説明されています。

そして、農政については、現在のカップリング政策とは異なるデ・カップリング政策にもとづいた「環境支払い」という画期的な方法が提案されています。食料自給率が91%のドイツでは、この政策が成功しているのだそうです。この「環境支払い」は、日本でもすでにいくつかの地方で取り入れられ、実践されています。

‥‥

この本を読んだだけのわたしが、上記のような話をしますことをもし許していただけるのでしたら、まずはこの本を読んでみてください、と言いたいのです。この本から、何かが見えてこないでしょうか。「宇根博士は、立派な副業(そちらが本職かもしれませんが)があるから食べてゆけるでしょう」というお言葉からは、一条の光も見えてきません。否定と諦めだけが伝わってきます。とても哀しいです。わたしのような一介の主婦が、農について考えることはムダなのでしょうか。わたしは、宇根博士が声を上げて、この本によって新しい農学を世に問うただけでもすばらしいことと思っています。このような本こそ書店の店頭に山積みされてほしいのに、岩波文庫が全巻揃う立派な書店にすらこの本が置かれていないことを知って、ほんとうにがっかりしたのです。

‥‥

これ以上書きますと、道草さんとご友人さまに嫌われてしまいそうですね。もう、やめておきます。
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父の言葉 (toraian)
2006-10-14 11:21:13
今回の文章を読んで、亡き父の言葉を思い出しました。「米一粒を作るのに1年かかる。一粒も無駄にするではない。」小さい頃よく言われたものです。私が住んでいるところは北海道の東の方なので、まわりに田んぼがまったくありません。ですからなかなか実感が湧かなかったのですが、それを父はこのような表現で、お米の大切さを伝えてくれたのではないでしょうか。

大事なことを思い出させてくれて感謝します。
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誰しも理想を追いたいもの。 (道草)
2006-10-14 16:34:49
私は宇根博士の理論に反対はしません。むしろ、一日本人として是非そうあってほしいと願うものです。それを前提で、私の知る範囲の農村の実像と友人の百姓の見解を紹介しました。ですから、あくまで参考としておいて下さい。

>宇根博士は「むかしから百姓は貧乏だった」という考えが一般化していることを指摘して、実はそうではなかったことを、いくつかの史実から説明されています。

私の中学校の同級生は233名でそのうち男生徒は119名です。5クラスありましたから、1クラスは約45名。その当時(昭和20年代後半/1950年前後)クラスの男性23名で「少年クラブ」を定期購読していた者は2名でした(私とS君)。なぜ分かるかというと、郡部の中心にある中学校の近くに新聞舗があって、僅かばかりの月刊誌も並べてありました。「少年クラブ」の発行は毎月25日。その日は登校前に新聞店へいそいそと寄って雑誌を受け取り、授業の合い間や昼休みにむさぼり読んで、下校時までに読み終えてしまいます。その夜は家でもう一度読み、翌日はこれも待ち兼ねている級友に貸します。4~5人の間を回覧して返って来た頃は表紙はヨレヨレ状態。それでも私の宝物です。次号の発行までの1カ月間に、何度繰り返して読んだことでしょう。

晩年の同総会でそのことが話題に出たことがありました。「少年クラブを毎月お前に見せてもろて嬉しかった。けど、俺はお前をねたんでたんや。俺とこは貧乏で、雑誌なんて買うてもらへんかった」。他の級友は、「俺は一回も見せてもらえへんかった」。もちろん笑いながらの歓談ですが、私はこの言葉を聞いて愕然としました。私は何と傲慢な少年だったのか。「見せてやる」という偉そうな態度を無意識にとっていたのだ。それほど親しく無い者には見せようともしなかった…。私の家は非農家でしたが極めて貧乏でした。農家には雑誌くらい講読できる家はあったでしょう。子供に雑誌を定期購読するなど、親の一考え方に過ぎないのかもしれません。2年生で組替えがあり(S君は別の組)ましたが、新しいクラスで「少年クラブ」を購読していたのは私一人だけでした。ほぼ全員が農家の男生徒120名の中で、子供の雑誌さえ買変えなかった家庭が何軒あったのかは知りません。しかし、貧しくて悔し涙を流していた級友が何人か居たことは事実なのです。丁度、無着成恭の「山びこ学校」が世に出て2~3年経った頃です。その後、無着氏は村を出ました。一人地元に残り百姓で生計を立てていた教え子の佐藤藤三郎氏は、「先生は逃げた」と指弾しました。山形県の寒村の「山びこ学校」は崩壊して、今は影もありません。

>「宇根博士は、立派な副業(そちらが本職かもしれませんが)があるから食べてゆけるでしょう」というお言葉からは、一条の光も見えてきません。否定と諦めだけが伝わってきます。とても哀しいです

私の古里では、ただ一人K君が百姓で頑張っています。彼はかつての腕白大将です。その隣家の副大将で銀行員のT君は昨市内の家で昨年に亡くなり、自宅は無人です。彼の二人の弟は養子で既に家を出ています。T君の奥様が先祖の墓も全て市内へ移転されました。K君は幼馴染の住んでいた家が朽ち果ててゆくのをただ見守るだけで、そのK君の息子も家を出て跡継ぎは居りません。50年前に比べてサラリーマンの初任給は10倍になっていますが、米価は2倍に過ぎないから百姓では生活出来ないからです。K君の在所には、空き屋になって月に1~2度だけ掃除に来る家が数軒あります。農業が好きやという彼は畦で転んで腰を痛め、「もうあかん」と気力喪失しています。1000人はあった人口は今では550人程。50年後には300人を切ります。そして更に50年経てば古里は恐らく廃村となります。京都府下には、既に廃村になったもう少し小さい集落は幾つもあります。

デ・カップリンク政策に対処するには、指定(面積・作物・手段等々)に従う必要があり、受け入れたくても高齢者ではとても対応出来ない(気力・体力・資力等から)と友人は嘆いています。古里の120世帯ほどの農家でこの施策を受け入れているのは40歳代の男性が居る2世帯だけとのことです。繰り返しますが、米が500㎏穫れるが赤蜻蛉は10匹しか育たない田圃と、米は300㎏しか穫れなくても赤蜻蛉が5000匹生れる田圃とどちらを望むかとなれば、日本人で非農家の私は後者を希望します。しかし、その理想論にさえ対応出来ず、滅びてゆくのに任せざるを得ない農家のあることも現実なのです。ただ、それだけです。下の詩は昔の農民の一つの姿です。過ぎ去った昔のことですが。



「雪の中で」   猪狩満直



さあ

来年の種物まで売つて了(しま)はねばならない

この貧乏百姓

人間の生活なんかありやしねい

小屋いつぱいの寝床さ

子供は小屋の中に一日中つなぎ馬だ

おれだちはからだごしらぶちこんでその日を送る

夕べぐつたり疲れて床にぶんのめる死人だ

寒気と飢と、否

おれだちは土の親しみから引きはなされた

………………………

甘い夢をむさぼる奴はむさぼれ

おれだちには火のやうな呪がある

おれだちには石ころのやうな決意がある。

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