ちょっとテンプレートを変えてみました。
携帯から見てる方、わからないですよね、ごめんなさい。
たぶん今日だけなので、見逃してください。
このクマがなんとなく懐かしくって。
ちょうどそうですね、今の『それぞれのあした』を書いた時期より少し前、
私が初めて恋をしました。
同じ歳で、隣のクラスでした。
馴れ初めは、なんだったかなー。確か、学級委員をやったとき、
よくあるクラス代表者の委員会会議で、初めて会ったはず。
その後はその子の友達の好きな人との間を二人で結んだり、
その子自身の好きな人を聞いて、励ましてあげたり、間を持ってあげようとしたり。
でも、どうしたんでしょうね。気がつけば、お互いに惹かれあっていました。
恋って、そんなものなんでしょうね。
で、それでなんでクマなのか、といえば、
私の年齢の中学一年生なんて、まだまだ子供で、
お付き合いしている人なんて、周囲に誰ひとりいませんでしたから、
そりゃあ人前であまりたくさん一緒にいると、
うざったい冷やかしにあうわけです。
……まあ、私が無責任な第三者の言葉、
口だけ達者な人間達を嫌いになったのはこのあたりにあるのですが……
まあそれはよしとして、とにかく、
あからさまにたとえば写真であるとか、
自分たちが恋人である証、みたいなものを、
人目につくように携帯することはできなかったわけです。
それでもなんとなく持っていたい。
背伸びしている思春期の男女、というのはそういうものなのかもしれません。
そこで彼女が考えたのはある絵で喩えることだったようです。
当時、彼女は自分を『ぬいぐるみのクマ』に喩え、
私は人から『サル』とあだ名をつけられるスポーツバカでした。
彼女は自分のペンケースに、ポップなシールで、
クマとサルを貼り、間にハートマークを貼ったのです。
そして満面の笑みで私にそれを見せました。
『恋をしてるの。クマさんとおサルさんが』
あの言葉を、あの表情を、10年経った今でも忘れていません。
二人だけの秘密のアート。
そのクマに、このテンプレートのクマがそっくりなんです。
それでこの話を載せる今日だけはこのテンプレートに。
ちょっと感傷に浸ってみたり、
今となっては、いい思い出です。
携帯から見てる方、わからないですよね、ごめんなさい。
たぶん今日だけなので、見逃してください。
このクマがなんとなく懐かしくって。
ちょうどそうですね、今の『それぞれのあした』を書いた時期より少し前、
私が初めて恋をしました。
同じ歳で、隣のクラスでした。
馴れ初めは、なんだったかなー。確か、学級委員をやったとき、
よくあるクラス代表者の委員会会議で、初めて会ったはず。
その後はその子の友達の好きな人との間を二人で結んだり、
その子自身の好きな人を聞いて、励ましてあげたり、間を持ってあげようとしたり。
でも、どうしたんでしょうね。気がつけば、お互いに惹かれあっていました。
恋って、そんなものなんでしょうね。
で、それでなんでクマなのか、といえば、
私の年齢の中学一年生なんて、まだまだ子供で、
お付き合いしている人なんて、周囲に誰ひとりいませんでしたから、
そりゃあ人前であまりたくさん一緒にいると、
うざったい冷やかしにあうわけです。
……まあ、私が無責任な第三者の言葉、
口だけ達者な人間達を嫌いになったのはこのあたりにあるのですが……
まあそれはよしとして、とにかく、
あからさまにたとえば写真であるとか、
自分たちが恋人である証、みたいなものを、
人目につくように携帯することはできなかったわけです。
それでもなんとなく持っていたい。
背伸びしている思春期の男女、というのはそういうものなのかもしれません。
そこで彼女が考えたのはある絵で喩えることだったようです。
当時、彼女は自分を『ぬいぐるみのクマ』に喩え、
私は人から『サル』とあだ名をつけられるスポーツバカでした。
彼女は自分のペンケースに、ポップなシールで、
クマとサルを貼り、間にハートマークを貼ったのです。
そして満面の笑みで私にそれを見せました。
『恋をしてるの。クマさんとおサルさんが』
あの言葉を、あの表情を、10年経った今でも忘れていません。
二人だけの秘密のアート。
そのクマに、このテンプレートのクマがそっくりなんです。
それでこの話を載せる今日だけはこのテンプレートに。
ちょっと感傷に浸ってみたり、
今となっては、いい思い出です。