ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

「行間読みで妄想する」セガン研究あり

2018年11月24日 | 研究余話
 セガンが男子不治者救済院で実践開拓した「梯子の昇り降り訓練」はとても面白い。立て掛けた普通の梯子の昇り降りを、手足を使って行う。この実践に関しては、セガンのアメリカ時代の著書にも記述されているから、セガンの「生理学的教育方法」の本質を見るものであろう。丹念に分析的に理解する必要がある。
 ところで、梯子く訓練を終えた直後に、セガンは、子どもたちの掌に、リンゴを乗せている。直接的には火照った手のひらを冷ますツールとしてリンゴが使われている。それだけではなく、アメリカ時代の著書では、リングを握るという手指の訓練に導入されるとしたためられている。アメリカ時代の著書では、リンゴでなくてもいい、冷たくて手の平に包み込みやすいもの、水晶玉なども推奨されている。
 梯子の訓練を終えて戻ってきた子どもたちの掌にリンゴを渡すとき、セガンは何か言葉かけをしたのか?綴られていないから、そこは推測の段階だ。某人は「えらかったねー、これはご褒美だよ。」と言った、とする。しかしそれでは、水晶玉でもよし、とするセガンの主張は説明できなくなるのだが、某人は、そのことについての納得のいく説明はしていない。「このように、セガンは、心優しい教師だったのです。」という彼のセガン像の伏線として、この個所が読まれている、としか思えない。
 すなわち、それは、某人が「行間読みで妄想する」にしかすぎないということだ。やはり、セガン研究者の名札は胸から外していただきたい、「セガン教の教祖様」なのである。
★セガン1866年著書薬師川邦訳書『障害児の治療と教育』ミネルヴァ書房、昭和48年、83ページ参照。
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