ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

幻戯書房訪問

2016年04月27日 | 日記
○6時45分目覚め、目覚め時室温21℃。
○ビニールごみ出し。上り坂は、まるで、クラムシーのクロ=パンソンの丘に上るような身体(脚)の重さ、今日は特に膝の調子が悪そうだ。
○いつものアイアンを持った散歩人とすれ違い。挨拶を交わした。こっちは膝が痛い、あっちは腰が痛いと「情報交換」。「めげずにがんばりましょう」と別れた。ほんと、めげそうだもんな。
○やはりブラインドが外れた。ちょっといじると、だものなあ。幸い片方が外れただけなので、再設置は難なくできたけれど…。
○11時過ぎ、幻戯書房に到着。翻訳書の残務整理。まだ、公共図書館には出回っていないとのこと。予算執行期まで少し時が必要だろう。
○社長さんから伺った「姫様」情報。
*「この春休みに上京され、会社にも顔をお出しになりました。」
*「(旦那の)Mさんが香川の田舎はいやだと東京に出てこられています。職も決まっています。」
*「看護師の資格が取れたら、上京されるそうです。」
 以上のことを、このお二人の結婚保証人のお一人である貴婦人にお伝えしたら、「まぁ」と、少し驚いた反応がありました。ほんま、まぁ、ですな。
○お昼は幻戯書房近くのレストランにて。フランス国旗が店先に掲げられていたので、つい、入ってしまった。注文の品は、「ステーキランチ」。もちろん牛であるぞ。退院の時、栄養士さんから、「食べてはいけません」と指定された牛なのだが、本の件もすっきり片がついたことだし、血液ゲンサも◎だったし、あれから2年経っているし、で、キッパリと注文した次第。筋の多いステーキ肉の上にトマトソースがたっぷり乗っかっている。店の人が、「お箸お持ちしましょうか?」と品を置くなり言ったので、にっこり笑って(歯が抜けていて気味悪かったかな?)「フランス生活の経験がありますので、お作法は存じております。」と嫌みでもなく、事実をありのままに申した次第。オネ―ちゃん、ちょっと口がゆがんだ笑顔になったかな。
 ごく当たり前のごとく、右手にナイフ左手にフォークを…!!あたりまえじゃないっ!フォークをちゃんと持つのにわらわらした次第。手の麻痺、残っておられますです。で、フォークの背に(つまり日本風に)ライスをのっけて口に運ぼうとするも、ライスがちゃんと乗っかってくれません。アチャー。ええい、日本オリジナル作法なんか、この際どうでもイイ。フォークでライスをいただけるのだ、ぶきっちょながら。
 *困難性と可能性とを発見した、和風ステーキライスのランチでありました。
○「パリ・コミューン」ー『パリ燃ゆ』編その2
 『レ・ミゼラブル』でおなじみのヴィクトル・ユゴーは、亡命先のブリュッセルで、事変としての「パリ・コミューン」の動向に心を痛めていた。彼は日記で「最悪のこと。パリに火がつけられた。ベルギーにまで消防士を求めてきている。ベルギーの人たちが大急ぎで出発した。」(5月25日)と綴っている。
 さて、火を付けたのは、「パリ・コミューン」鎮圧側「ベルサイユ政府軍」なのか、「パリ・コミューン」側なのか、それとも両者激突による必然なのか、あるいは、このころ流言飛語されていた「火炎瓶女」すなわちパリの民衆による暴動によってなのか。
 要は偶発によるものかそれとも組織・意図的によるものなのか、という問題である。後者だとすればそれを実行する命令書があるはずである。それには当然、指揮者による署名がなされていなければならない。
 ティルリーとルーヴルは、1871年5月19日、パリ・20区選出議員ブルジェレJules Henri Marius Bergeret(1830-1905)によって、放火命令書が出されている。続く5月21日、パリ・7区選出議員ブルネルPaul Antoine Magloire Brunel(1830-1904)によって、パリ全市の放火命令署名なされている。
 この二人がどのような地位にいたのかは、後に紹介するつもりであるが、自分たちが治める街〔自治都市パリ=パリ・コミューン〕を自らの手で焼き放った、ということなのだ。
 ユゴーが綴っている「ベルギーにまで消防士を求め」たのは、誰かは明記されていないが、反「パリ・コミューン」側であることは想像に難くない。皮肉なものである。
○ステーキランチ

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