ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

講演草稿 閑話休題

2018年10月10日 | 研究余話
 人と自分とは違う。この当たり前の観念を前提にしながら、この人はなぜこの道を選んだのだろうと、しばしば考える。このことは研究対象に関しても同じだ。

 セガン研究で学会賞を受賞されているさるお方が、次のような言葉を口にされたことは、忘れられないし、今もなお私の観念を縛っている。

 「それはセガンが人権に目覚めたからです。」

 研究的にいえば意外性のある「パリの法学部」(パリの旧法学校)に在籍していた、という情報を得た時のことだ。不埒な奴だ、とお叱りをいただくかもしれないが、その時、私と重ね合わせて、セガンの進路選択を初めて考えた。
 私が進んだ大学は東京教育大学、学部学科は教育学部教育学科。上記の「さるお方」風に評されることがあるとすれば「それは、川口が、教育(学)に目覚めたからです!」となるのだろう。事実は全く異なる。
 国立で、ある程度評判が良くて(新制大学の類ではなくて)、自身の学校学力に可能で、というのが選択するときの思考の枕にあった。その結果が東京教育大学教育学部教育学科だった。合格する自信はなかったから、目いっぱい背伸びした選択だったのだろう。二期校や私学へも願書を出したが、最も得意とする教科「数学」にかかわる学部・学科を選んでいる。間違いなく「教育学に目覚めた」などというのはみじんもない。

 つまり、セガンさんも、不肖川口のような迷いの選択進路で無かったとは言い切れないんじゃないか?そんな青年期であったのかもしれない‥‥
 上記のさるお方は、こうした私の思いを一顧だになさらなかった。「セガンなんですから。」 セガンには人生に迷いや戸惑いはなかったのかなあ、青年期的な迷いはなかったのかなあ‥‥。「セガンのことを悪く言う人を私は許しません!」という「お言葉」で返されたままである。
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