ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

セガン生育史論(1)

2018年12月11日 | 研究余話
 研究的な伝記を綴る時に悩まされるのは、生育環境をどう描くか、ということ。

 セガンの場合、「生育史を研究的に綴ることは大切だ」と述べておられるT博士が綴るセガン生育史は、家柄が良く、両親がリベラルな思想の持ち主で、ルソーの自然主義思想にのっとって我が子を育てた、母親は敬けんなクリスチャンだった、と、セガンがパリに上るまでのことを、このように綴っている。我が国のセガン研究者は、おおよそこのような立場である。M市などは「両親の愛情に包まれた幸せなよう幼年期を過ごした」という。
 ひょっとして、このような生育史の実態はなかったとしたら?という問いもなされていない。研究的であるのなら、客観的に論証しうる史料の提示があるべきだが、それはない。
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