ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

サン=シモン教徒の「ミッション」を追え (2)

2018年07月02日 | 研究余話
 ユゴーの『レ・ミゼラブル』の学生蜂起(1832年)のバック・グランドとして、マリウス(法学部学生)が群衆に演説をしている場面がある。あの演説場面はユゴーが仮想したのではなく、当時のプロパガンダ方法の重要な一つであり、行動を誘引するのに、非常に有効であった。
 さて、サン・シモン教はどのようにして広められていったのであろうか。
 もちろん、有識者を対象とした雑誌、新聞など活字媒体、次いでリトグラフ・版画などの視覚媒体、そして街頭ないしは屋内演説会。最後は、字が読めなくても理解される。典型的な大衆向けの方法だろう。
 昨日扉写真を示したサン=シモン経典の冒頭は、次のようにある。
「参事会メンバーのカルノーとルシェヴァリエールによってなされた教育内容(授業)
 週に1回2カ所で。それぞれ、ソルボンヌ広場で木曜日1時半から、グレネル・サントノレ通り45で土曜日夜8時半から。」
 街頭演説会が有力な方法として採用されている。別の文献で述べられている次のことの具体の形であった。「サン=シモンは死去した。浴びせられた数々の不快の念、軽蔑、侮蔑といったものを師は甘んじて受けてこられたが、その中に師の崇高な教義があることを確信持って崇拝するわれらは、その教義の布教に身を捧げるものである。われらはこの偉大な伝道が特に重要であると思うが故に、様々な妨害があるであろうが、それらに打ち勝たねばならない。」

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