ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

ついて回る「汚点」はぬぐ得ないなあ、心に居座ってる

2018年12月05日 | 研究余話
 12月9日に松戸でSH情報研究所主催の講演会で、50分、講演をする。セガンの青年期を論じる。ぼくの研究者としての最後の「舞台」だろう。さほど力が入っているわけではないが、その準備過程にある今、さまざまな「光景」がぼくの脳内を駆け巡る。その「光景」とは、ぼく自身の「能力」を厳しく問われている場面だ。
 学生時代、某出版社の編集部長氏に人格・力量を認められ、氏が執筆中の日本文法論への参画を強く要請された。氏が書き綴っている続きを書いてほしい、という依頼。依頼を受けた当初はあれこれの文献を漁り、氏が言わんとしている「日本文法論」の大意を掴み、綴り始めた。が、怠けに怠けて遊びに夢中になる学生でもあるという片面がぼくの意欲などを覆い尽くし、依頼書物の続きを綴ることはほとんどしなくなった。半年後、氏に呼ばれ、「人の人生をかけている問題をこれほど軽く扱うあなたという人の存在を許すことが出来ない。」ときつく叱責され、以降のご自宅への訪問の脚を禁じられた。「この愚は、今後、絶対に犯さない。」と自分に固く誓った。それが、ずっと後年、清水寛氏への助力となっていたのだが・・・。
 学生時代のぼくの学びの姿勢を知り尽くしているのは、入学同期生たち。とりわけ語学では、学ぶ意欲さえ見せなかったし、それ故、彼らは、「実力」を十分に理解している。毎年行われる「クラス会」にはほとんど出席してこなかったのは、こうした「馬鹿」さを知られていることを話題にされるのがつらかったからだ。だが、セガン研究書の大詰めを迎えたとき、一応おれも頑張ってんだ、と報告できるかと思い、出席した。近況報告でこの旨を語った。即反応が出た。「英語やドイツ語でさえ出来なかったのに、フランス語?信じられないね、ウソでしょ。」厳しい、嫌われていたことがこういう時に判明する。教育界に生きている者たちは出版情報に接しているから、ぼくが知的障害教育史に関わる著書を出すらしい、ということはすでに知っていたので、仲立ちをしてくれる人もいたが、座はしらけきっていたな。その数ヶ月後、でかでかと新聞広告に2010年著書の宣伝が載った。次の年の年賀状に「おまえの書いたものなど、買わない。信頼できないから。」
 一度失った信頼は、取り戻せませんね。ですが、自身に対する信頼は、かすかにでも持ち続けないといけない、と、思う次第。
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