ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

おもひでぽろぽろ・・・セガン教

2018年11月19日 | 研究余話
 「神聖にして犯すべからざる存在」としてのみぼくの前に現れた「セガン」も、拝し奉りながら、ちらっと指の間から覗き見る「不敬」を繰り返していくうちに、指の隙間がだんだん広くなっていき、それとともに、「あれまあ、セガン君、どうしちゃったのさ、兵隊検査に乙種合格して徴兵されながら兵役についてないじゃないの」というような、「兵役逃れ」青年である実相が見えたり、世間様がうらやむような秀逸だったのに、ぼんくら青年以下の怠け大学生であることが公文書にはっきり記録されていたり、という、とてもじゃないけれど、初期の神々しさはすっかり消え失せ、よっ、ご同輩!と、わが身来し方のヨレヨレぶりが、それもまあ、あっていいのかな、セガンさんもそうだし、などという開き直りを生み出してもくれた。

 超凡人セガンに潜んでいた、教育や実社会に対する俊逸なる知性と技とにあいまみえるようになって、ぼくは、やっと「セガン」にほれ込むようになった。12月9日の講演会ではそんなことをしゃべろうと準備中。

 ぼくに、セガン今日のすばらしさを熱っぽく説いてくださった教祖様は、すでに、素知らぬ顔で、ほかの信仰対象に入れ込んで、新興宗教を熱心に説き、信者をお集めになっておら得る…。ああ、素晴らしきかな。