ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

身体休め

2017年04月16日 | 日記
○6時40分起床、起床時室温18℃。しばしば目覚め熟睡できず。
*人を自分の都合にとことん巻き込む輩の夢。特に大飯ぐらいとこき使い。
○午前中、自室の整備、掃除。身の回り、足下などの掃除、雑品の移動をしただけで、全身倦怠・疲労感。こんなにからだが動かすのを嫌がるのも珍しい。いや、これが今のぼくの実体か。
○ 添付したのは、1枚が(カラー図版の)ノーベル賞作家で平和主義者のロマン・ロランの作『コラ・ブリニヨン』の廉価版本表紙絵。同文学は、ロマン・ロランが16世紀に遡ってご先祖様の「コラ爺さん」を文学上で蘇らせ、その生活の四季折々を綴ったもの。文学に描かれている舞台はフランス・ブルゴーニュ地方のクラムシーというのどかな農寒村。表紙絵がそののどかさを漂わしています。『緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台♪』なんて口ずさみたくなりますね。『とんがり帽子の時計台』ならぬ教会塔なのですけれど。
 もう1枚添付したのはそのクラムシーに残る、クラムシーの16世紀頃の遠景絵図。おや?「とんがり帽子の・・」なんてありませんね。四角く大きな塔が集落の中心に立っています。この塔は、クラムシーのサン=マルタン教会の塔です。
 表紙絵は偽クラムシー。この表紙を描いた画家さん?デザイナーさん?は、クラムシーを調べもせず、行きもせず、自分のイメージだけで描いたのですね。尖った屋根か四角い箱屋根か、これはその教会を持つ土地の宗教精神をあらわすもの。
 せめて、研究者はこうであってはならないと強く思わされる、残念な表象



○セガン生誕200周年記念シンポジウム報告書についてのレポート『とどのつまり』をお送りして感想等が帰ってきたのは、今日までのところ、トドちゃんと竹田さんのみ。トドちゃんは口頭で「タイトル『とどのつまり』はまさに言い得て妙だね。」と強く共感を寄せてくださった。竹田さんは、表題ではなくサブタイトル「セガン生誕200周年記念・・・」のみをさして、内容的感想を寄せてくださった。「とどのつまり」ってのは研究的ではない、というご理解なんだなぁ、と思った。セガン生育史研究の現時点での到達を一言で言えば「とどのつまり」なのだけれどな。その他の方々の感想も返礼もないという実態も含めているんだよね。
○聖女「ジャンヌ・ダルク」は「アルク(村)のジャンヌ」というのが通名であることが、1848年にアメリカで制作された原題Joan of Arc(邦題「ジャンヌ・ダーク」)とあることが分かる。清水次郎長さんも、地名・清水の次郎長さんだものな。
 で、フランス(オルレアン公)を建国させるために死闘を尽くしたジャンヌ・ダルクをイギリスに売った手先が、フランス・ブルゴーニュ公。ぼくがここで良く話題に出すロマン・ロランやエデュアール・セガンの生誕の地の領主。
 ジャンヌ・ダルクのファンであり、ロランやセガンを愛するぼくとしてはなんか複雑な気持ちの、中世フランス事情であります。
 映画「ジャンヌ・ダーク」で主人公を好演しているイングリッド・バーグマン( Ingrid Bergman)の、「ガス燈」(1944年)「誰がために鐘は鳴る」(1943年)も、幾度観賞しても見飽きることのない、素晴らしい映画であります。