Kereta dan Kucing

・・・猫と懐かしい列車に出会う旅・・・

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猫の島”田代島”に行く その4

2010-06-21 23:06:48 | 田代島の猫達
仁科田の集落を抜け急な坂を登ると、海が一望出来る小高い丘の上に出ました。

もう一つの集落、大泊方面へ向け一本道を進みます。

人も車も通らない道路を歩いていると現れたのがこの建物?

島の緊急避難場所との看板が有りますが??どうやら学校のよう

門には未だ石巻市立田代小学校の文字が残りっておりました。

家に帰り調べてみると、1989年に廃校となった島で唯一の小学校の跡地との事でした。
かつて子供たちの歓声が轟いたであろう玄関も、人気も無く草蒸してしまい寂しい限りですね

小学校を後に更に山道を進むと、薄暗い森の中に突然現れた神社の鳥居

ベンチが有ったので気が付きましたが、自然と同化していて思わず素通りするところでした。

田代島の猫神様を祭る猫神社に到着!!

小さな鳥居を抜けると

猫神社の由来が書かれた解説が有ります。

以下Wikipediaより引用

田代島ではかつて養蚕が行われていたため、カイコの天敵であるネズミを駆除してくれるネコが飼われており、島民から大事にされていた。定置網漁の一種である大謀網が江戸時代後期に三陸海岸中部(盛岡藩・船越村)で興ると、それが隣接する仙台藩・気仙郡(気仙沼)を経由して田代島にも伝わり、改良されて田代型マグロ大網となった[4]。この経緯から、田代島沿岸での大謀網は気仙沼周辺から来る漁師と島民によって営なまれ、島内にいくつもの番屋(作業小屋兼簡易宿泊所)が設置された。すると、番屋に寝泊りする気仙沼漁師らの食べ残しを求めてネコが集まるようになり、漁師とネコとの関係が密になって、ネコの動作などから天候や漁模様などを予測する風習が生まれた。ある日、大謀網を設置するための重しの岩を漁師が採取していたところ、崩れた岩がネコに当たり死んでしまった。これに心を痛めた網元がその死んだ猫を葬り、現在の猫神様となったとされる。

神社というより、祠のようなイメージな猫神社本殿

猫にまつわる沢山のお供え物が有りました。

良く良く見てみると、石に描かれた数々の猫のイラスト

沢山の人達の猫への思いが凝縮されているようです。

中にはこんな個性的な物も(笑)

お供え物のなかに猫缶があるのもこの島ならではですね

猫神社を後に、仁斗田の集落へ向け来た道を引き返し歩いていると

しっかりとした足取りで歩いて来た1匹の猫とすれ違いました。

この辺りには民家も無いのに、一体何処を目指していたのでしょうか?
もしかしたら猫神社へお参りに向かっていたのかも知れませんね??

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