いろいろ引っ掻き回していたらこの絵が出て来ました。20代に、雨戸を閉めた窓を鏡に使い自分をモデルに描いたものです。孤独なタンポポと私。それほど孤独だったかと言うと、そうでもなかったのですが、私自身へのある種の不満があったのだと思います。何故か気に入ってずうゥっと持ち歩いていました。
まだ若くて可愛かった時代には言い寄ってくる男性も何人か居ました。ちょっと遊ぼう位の無責任な男性から、真剣に将来を夢見ている人まで色々です。大抵の場合その見分けは簡単でした。いわゆる勘が働くのです。
でも世の中にはその「勘」の鈍い人も多いようです。
先日会った元政治記者が話してくれたことは私の経験をも思い出させてくれました。
ヴァンクーヴァーで彼は或る日本人青年に会いました。
日本からいわゆるワーホリ(ワーキング・ホリデー)でカナダに来る若者達が居ます。彼らは最初英語の学校に通います。その学校に集まる日本の女の子達を目当てに韓国系の若者達が寄って来るのだそうですが、この青年は「情けない」と言っていたそうなのです。
何が情けないかと言うと、韓国系青年達の甘言に、いとも簡単に陥落してしまう日本の若い女性達が情け無いのです。
元記者はバンフでは二人の若い日本女性に会いました。
彼女達は二人とも外国人と付き合っていて、その「悩み」を彼に打ち明けたらしいのですが、「信頼できない」と言う気持ちも有りながらズルズルと付き合い続けているようなのです。そして「でも、優しいんですよ。。」を繰り返していたとか。
パリの街を一人で歩いていたら後ろから追いついた見知らぬ男性が日本語で「お嬢さん」とか何とか話し掛けて来ました。とっさに「ジュヴヌコンプレパ(あなたの言ってること判りません)」と答えると尻尾を巻いたかどうか判りませんがさっさと姿を消しました。それがフランス語として正しかったかどうかは知りませんが通じたことは確かです。ああ、こういうのがきっとウジョウジョ居るんだな、とその時思いました。そしてそれに引っかかるのもタクサン。
引っ掛かった人の話:
もう数年前になりますが、ある日警察から電話がありました。通訳に来て欲しいと言うのです。ヴォランティァとして通訳の登録をして有るので、病院などから偶にこのような電話があります。人生はそう甘い物ではないことを知って欲しいですね。
言われた時間に警察に行くとロビーに若い日本女性がポツネンと座っていました。私を見るとポッと灯が燈ったような明るさが顔に現れました。
ヴァンクーヴァーで知り合った青年とずっと旅を続け何ヶ月かを一緒に過ごし、結婚するつもりで居たその青年がある日彼女の有り金を持って消えたのです。見かねた大家さんが警察に届けてくれたので私に声が掛かったと言う訳でした。警察では事細かに調書を取り、でも、その青年を見つけられるものやらお金を取り戻せるものやら、保障はありません。もっと緊迫した重要な仕事があるでしょうから、こんな馬鹿な外国の女の子の相手なんかしていられない、と言うところだったのではないかと思うのです。
彼女にしてみれば「結婚を約束していながら、何と言うことを。。」だったかもしれません。私に言わせれば「遅くとも生活費を全て自分が出さなければならなくなった頃には目覚めるべき。。」なのです。本気で結婚する心算なら自分で稼いで来る筈なのですから。
その後、彼女がどうなったかは知りません。でも、まだこのような人が現れる可能性は有るでしょう。
上の絵のバックグラウンドにはこの万華鏡を使いました。
彼らの言う"Mi amas vin"は、日本女性が一般的に求める"Mi respondecas cxion pri vi"でなく、"Mi nur volas seksumi kun vi"です。
近頃は日本女性の方も強くなって、単なるsekspartneroだけでいいという人もいますからお互い様です。私の偏見と独断によれば、男に捨てられる前に女が男を捨てるのでないと、いつまでたっても男は変わらないでしょう。エ、逆に男が安心して喜ぶかも?!
けど、好い加減大人になれば自分の責任でどう遊ぼうと勝手ですが、甘いお菓子を見せ付けられた幼児の様に簡単について行く幼さから抜け出てからにすべきでしょう。
結局は幼い二児を殺す結果になった悲劇も有ります。
日本男性にだってこんなのは居ます。
私が新聞記事になった時その記事から興味を持ったと言う男性から電話がありました。
エスペラントに関心があると解釈して、会って見たら。。。
エスペラントになんか何の興味も持っていないのです。今会ったばかりなのに私の肩に手を掛けてきたり、洋画の場面を夢想していたような、魅力も無ければ、話題も無い、その上格好よくも無いくせに、イヤらしい奴でした。
私は道徳家でも何でもありませんが、女性があとで泣いているのを見るとくやしいのです。
イエローキャブはタクシーと知っているだけで性教育との関係は知りませんでした。
性教育というのは難しいことだと思いますが、このような立場で泣く若者達は性教育以前の教育が必要でしょう。
どのような行為にも結果Consequence(Konsekvenco)があるということを考える能力に欠けていると思います。
Masakatoさんへ、
Kongresedz(in)oの現象はエスペランチストの世界に限ったことではないでしょう。現実に目撃した事はありませんが映画などに取り扱われているのを見れば。。。
後で泣く、というKonsekvencoの可能性を考えたら行動しなければいいのです。自分の愚かさを棚に上げて苦情を言っている女性が居る限りこの問題は平行線を辿ると言う気がします。
人間のあり方の最も基本的なところに迫るという意味での「性教育」は、日本ではほとんど行われていないと思います。
聞くところによると、男女別々に決められた寝室でも、恋人同士は堂々とやるそうです。気の弱い日本女性は2段ベッドの上でやられる音で眠れなかったと言います。
そこで提案したいのは、寝室は希望によって男部屋、女部屋、個室(恋人用、同性愛者用)と選べるようにしたら問題ないと思うのです。もちろん個室料金は高くて当然。
楽しませていただきました。
Yellow Cabの意味、初めて知りました。
日本のグラビアアイドルの事務所名にもなっていますけれど、英語使う人から見たら誤解を招くんでしょうか・・・
それから、友人はどこか語学留学へ行ったときの話を思い出しました。
あるスペイン人に言われたそうです。
恋人がいても、遊び目的で短期語学留学に参加する人は多いとか。
友人はしっかりした人でしたし、背が小さく、そのスペイン人には「小学生にしか見えない」と言われたそうで、危ないことはなかったようです。
トンガに言った時です。ニュージランドワーホリをしていた若い娘がアメリカの除隊したばかりの男性ときました。
彼女は英語力は殆んど無し。日常会話のみ。宿の女あるじが心配していろいろ尋ねると、結婚するとの事。彼女はトンガでは正式に結婚できないから、フィージーに行きなさいと勧め、アメリカ男性とも話したら、彼は数ヶ月だけ一緒に暮らすつもりだといったので、その娘を説得し様としたのですが、彼らのしたことは宿を替えることでした。泣きを見るのが分っているのに・・・と女あるじ。そんなカップルが結構現われるそうです。
時を同じくし、トンガ男性と結婚する女性が国籍も変えると言うのを必死で止めていました。将来、生まれる子どものためにです。トンガ国籍だとニュージランドでさえ自由に入れない。子どもが教育を受け、大人になってからトンが国籍にしても良いと言うのです。多分、子どもに2重国籍が与えられるからでしょうね!
ちょっと話がそれましたが、40年程前、海外で結婚した女性が結構いました。そんな仲で、メイドに入った家庭の後妻となったり、あるいは離婚して財産分与を受け悠悠自適で人生を楽しんでいる女性の話しを何度か聴きました。
日本の女子も強くなったと思います。それともそれは私たちの年代だから?強い人だけが泣き寝入りしなかったということもあるのでしょうか?