新年明けましておめでとうございます。
毎年言っているような気がするのですが、新しい年を迎えることがなぜめでたいのか、よくわからないんですよね。
たぶん、新しい年を迎えることがめでたいと思っている人は新しい年が希望に満ちた年だと信じているんじゃないかなぁ、、、自分も希望を持って生きていきたい!
ちょっと卑屈過ぎましたかね?笑。
でも新しい年を迎えることがなぜめでたいのか、疑問に思ったのでちょっと調べてみました。
新年を迎えることがなぜめでたいのか、これには「数え年」という年齢の数え方が密接に関係しています。
「数え年」、若い人は聞いたことがないかもしれませんね。
神社の厄年の一覧表では「数え年」での年齢となっていますが…。
さて、「数え年」って何なんでしょう?
満年齢との違いは?
正確に説明出来る人ってどれぐらいいるのでしょうか。
まず満年齢ですが、これは今現在私たちが使っている年齢の数え方のことです。
生まれた日を起点として、一年経つごとに一歳ずつ加えます。
まぁ難しいことではないですよね、今実際使っている数え方ですから。
それに対し数え年は、よく満年齢+1と説明されることがありますが、これは誤りです。
数え年は生まれた時点で一歳とし、以後新年を迎えるたびに一歳ずつ加える年齢の数え方のことです。
ですから、12月31日に生まれた子供は翌1月1日には数え年だと二歳になります。
生まれて二日目の子が二歳って何だか変な気がしないでもないですね。
なぜ昔は年齢の数え方を満年齢ではなく、数え年が採用されていたのでしょう。
これにはいくつかの理由が考えられます(ここからは想像の部分があります)。
満年齢が採用されるためには、言うまでもなく、その人がいつ生まれたのか、正確な記録が必要です。
昔はこの記録がいい加減でした。
そもそも昔は時計自体無かったので、12月7日の深夜遅くに生まれたのか、それとも午前零時を過ぎて12月8日に生まれたのか、正確に知るすべがなかったのです。
それに衰弱して生まれてきた子は容体が安定するまで出生届が出されなかったと考えられます。
安定するまで二週間、三週間もしくはそれ以上かかったら、いつ生まれたか、わかんなくなりますよね。
満年齢が採用されなかった理由はいくつも考えられます。
しかし、満年齢が採用されなかった一番の理由は別にあると思います。
現在、私たちは個人の誕生日を祝うのが当たり前になっています(ごく一部の人は誰からも祝ってもらえなかったりもしますが…。ぐすん。)。
けれど、誕生日を祝うのが当たり前になったのは、実は比較的最近のことなのです(一般的に昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降だと言われています)。
なぜ個人の誕生日を祝わなかったのか、一つには前述の通り、正確な誕生日がわからなかったためということが考えられますが、もう一つ、各自の誕生日を祝えるほど、日本人の暮らしが豊かではなかったからではないでしょうか。
誕生日を祝うことが出来ないのであれば、誕生日が訪れたことを知る必要もないですよね。
ですから昔の人は1月1日を共通の誕生日とし、その日を迎え、一つ年を取ったことを皆でめでたいことだと祝ったのです。
というわけで改めて言います。
新年明けましておめでとうございます。
本年も拙ブログをご贔屓の程よろしくお願いします。
毎年言っているような気がするのですが、新しい年を迎えることがなぜめでたいのか、よくわからないんですよね。
たぶん、新しい年を迎えることがめでたいと思っている人は新しい年が希望に満ちた年だと信じているんじゃないかなぁ、、、自分も希望を持って生きていきたい!
ちょっと卑屈過ぎましたかね?笑。
でも新しい年を迎えることがなぜめでたいのか、疑問に思ったのでちょっと調べてみました。
新年を迎えることがなぜめでたいのか、これには「数え年」という年齢の数え方が密接に関係しています。
「数え年」、若い人は聞いたことがないかもしれませんね。
神社の厄年の一覧表では「数え年」での年齢となっていますが…。
さて、「数え年」って何なんでしょう?
満年齢との違いは?
正確に説明出来る人ってどれぐらいいるのでしょうか。
まず満年齢ですが、これは今現在私たちが使っている年齢の数え方のことです。
生まれた日を起点として、一年経つごとに一歳ずつ加えます。
まぁ難しいことではないですよね、今実際使っている数え方ですから。
それに対し数え年は、よく満年齢+1と説明されることがありますが、これは誤りです。
数え年は生まれた時点で一歳とし、以後新年を迎えるたびに一歳ずつ加える年齢の数え方のことです。
ですから、12月31日に生まれた子供は翌1月1日には数え年だと二歳になります。
生まれて二日目の子が二歳って何だか変な気がしないでもないですね。
なぜ昔は年齢の数え方を満年齢ではなく、数え年が採用されていたのでしょう。
これにはいくつかの理由が考えられます(ここからは想像の部分があります)。
満年齢が採用されるためには、言うまでもなく、その人がいつ生まれたのか、正確な記録が必要です。
昔はこの記録がいい加減でした。
そもそも昔は時計自体無かったので、12月7日の深夜遅くに生まれたのか、それとも午前零時を過ぎて12月8日に生まれたのか、正確に知るすべがなかったのです。
それに衰弱して生まれてきた子は容体が安定するまで出生届が出されなかったと考えられます。
安定するまで二週間、三週間もしくはそれ以上かかったら、いつ生まれたか、わかんなくなりますよね。
満年齢が採用されなかった理由はいくつも考えられます。
しかし、満年齢が採用されなかった一番の理由は別にあると思います。
現在、私たちは個人の誕生日を祝うのが当たり前になっています(ごく一部の人は誰からも祝ってもらえなかったりもしますが…。ぐすん。)。
けれど、誕生日を祝うのが当たり前になったのは、実は比較的最近のことなのです(一般的に昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降だと言われています)。
なぜ個人の誕生日を祝わなかったのか、一つには前述の通り、正確な誕生日がわからなかったためということが考えられますが、もう一つ、各自の誕生日を祝えるほど、日本人の暮らしが豊かではなかったからではないでしょうか。
誕生日を祝うことが出来ないのであれば、誕生日が訪れたことを知る必要もないですよね。
ですから昔の人は1月1日を共通の誕生日とし、その日を迎え、一つ年を取ったことを皆でめでたいことだと祝ったのです。
というわけで改めて言います。
新年明けましておめでとうございます。
本年も拙ブログをご贔屓の程よろしくお願いします。
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