問題です。
次に挙げる映画の共通点は何でしょう?
『アンストッパブル』、『ソーシャル・ネットワーク』、『英国王のスピーチ』、『マネー・ボール』、『ソウル・サーファー』、『最強のふたり』、『アルゴ』、『ゼロ・ダーク・サーティ』、『ポゼッション』、『死霊館』etc。
映画好きな方なら超簡単、そうでないという方にもそんなに難しくないと思います。
答えは、「事実を基にした映画」です。
映画の見方というのは基本的に自由だと思っています。
なぜならそれまで生きてきた人生が違うのであれば、人それぞれ感性が違うのは当然であり、感性が違えば映画を評価するポイントも違って当然だからです。
とにかく可愛い女の子が出ていればそれでいい!!って人もいれば、映画は血飛沫が飛んでナンボ、と考える人もいるでしょう。それで構わないと思います。
上述したような「事実を基にした映画」を好んで見る人がいます。
もちろんそれは全然構わないのですが、「え?」と思うことがあって、それは「事実を基にした映画」を「事実そのもの」と捉えている人がいることです。
作品によってその度合いは違いますが、基本的に「事実を基にした映画」は「事実そのまま」ではありません。あくまで作品の核になる部分が事実なのであって、往々にして細部は事実とは異なります。
例えばブラット・ピットが主演した『マネー・ボール』。
この映画を見ると、2002年がオークランド・アスレチックスにとってえらく劇的な年のような印象を受けますが、実際には過去十数年に渡って起きた出来事を一年間の間に起きたように描いているのだそうです。
ブラット・ピットが演じたGMビリー・ビーンが“マネー・ボール理論”と出会ったのもこの年ではなく、また映画の中でビリーにこの理論を指南したピーター・ブランドは架空の人物だそうです(モデルとなった人物はいた)。
また麻痺を持つ大富豪フィリップと黒人介護士ドリスの心の交流を描いた『最強のふたり』、エンドロールでドリスのモデルとなった人物が紹介されていますが、その人物は黒人ではありません。
であれば、黒人系音楽が好きなこともダンスが得意なことも映画化される際に追加された設定なのでしょう。
また映画を見る限りは、ドリスがフィリップの面倒を看たのはごく短期間のように受け取れますが、実際には十年に渡って世話をしたそうです。
このように「事実を基にした映画」は「事実そのもの」ではなく、かなりの部分で映画として面白くなるように事実が脚色されているのです。
自分は事実を脚色することが悪いと言っているのではありません。
むしろその逆で、映画として面白くなるのなら、脚色は大いに行われるべきだと考えます。
問題は見る側の意識であり、「事実を基にした映画」はドキュメンタリーではないのですから、あくまで(出発点が事実である)フィクションだと捉えるべきだと考えています。
もしかしたら、「事実を基にした映画」が「事実そのもの」であると考えて何が悪い?お前は映画の見方は基本的に自由だと最初に言ったじゃないか、そう仰る方もいるかもしれません。
確かにそうです。
「事実を基にした映画」が「事実そのもの」と考えたからといって他人に迷惑をかけるわけでなし、そう考えるのもアリなのかもしれません。
けれど、自分があえて「事実を基にした映画」はフィクションだと捉えるべきだと主張するのは逆のパターンが考えられるからです。
逆のパターンとはつまり、「事実を基にしていない映画」が「事実を基にしていないから」という理由で低い評価を受けることを指します。
去年観た映画に、1960年代のミシシッピーを舞台に、白人女性と黒人のメイドの関係を描いた『ヘルプ 心がつなぐストーリー』という作品があります。
自分はかなり気に入っている一本なのですが、この映画の原作はキャサリン・ストケットの書いた小説です。
つまり、映画の中で語られたエピソードはストケットの頭の中で創作されたものだと言えます。
しかし自分はそれの何が悪いのかがよくわかりません。
ある映画を観て感動したとしたら、その映画が事実を基にしていようがいまいが、感動は本物だと思うのです。
少なくとも自分は、「事実を基にしている映画」も「事実を基にしていない映画」も同様のスタンスで鑑賞に臨むようにしています。
それで特に何か支障があったことはありません。
次に挙げる映画の共通点は何でしょう?
『アンストッパブル』、『ソーシャル・ネットワーク』、『英国王のスピーチ』、『マネー・ボール』、『ソウル・サーファー』、『最強のふたり』、『アルゴ』、『ゼロ・ダーク・サーティ』、『ポゼッション』、『死霊館』etc。
映画好きな方なら超簡単、そうでないという方にもそんなに難しくないと思います。
答えは、「事実を基にした映画」です。
映画の見方というのは基本的に自由だと思っています。
なぜならそれまで生きてきた人生が違うのであれば、人それぞれ感性が違うのは当然であり、感性が違えば映画を評価するポイントも違って当然だからです。
とにかく可愛い女の子が出ていればそれでいい!!って人もいれば、映画は血飛沫が飛んでナンボ、と考える人もいるでしょう。それで構わないと思います。
上述したような「事実を基にした映画」を好んで見る人がいます。
もちろんそれは全然構わないのですが、「え?」と思うことがあって、それは「事実を基にした映画」を「事実そのもの」と捉えている人がいることです。
作品によってその度合いは違いますが、基本的に「事実を基にした映画」は「事実そのまま」ではありません。あくまで作品の核になる部分が事実なのであって、往々にして細部は事実とは異なります。
例えばブラット・ピットが主演した『マネー・ボール』。
この映画を見ると、2002年がオークランド・アスレチックスにとってえらく劇的な年のような印象を受けますが、実際には過去十数年に渡って起きた出来事を一年間の間に起きたように描いているのだそうです。
ブラット・ピットが演じたGMビリー・ビーンが“マネー・ボール理論”と出会ったのもこの年ではなく、また映画の中でビリーにこの理論を指南したピーター・ブランドは架空の人物だそうです(モデルとなった人物はいた)。
また麻痺を持つ大富豪フィリップと黒人介護士ドリスの心の交流を描いた『最強のふたり』、エンドロールでドリスのモデルとなった人物が紹介されていますが、その人物は黒人ではありません。
であれば、黒人系音楽が好きなこともダンスが得意なことも映画化される際に追加された設定なのでしょう。
また映画を見る限りは、ドリスがフィリップの面倒を看たのはごく短期間のように受け取れますが、実際には十年に渡って世話をしたそうです。
このように「事実を基にした映画」は「事実そのもの」ではなく、かなりの部分で映画として面白くなるように事実が脚色されているのです。
自分は事実を脚色することが悪いと言っているのではありません。
むしろその逆で、映画として面白くなるのなら、脚色は大いに行われるべきだと考えます。
問題は見る側の意識であり、「事実を基にした映画」はドキュメンタリーではないのですから、あくまで(出発点が事実である)フィクションだと捉えるべきだと考えています。
もしかしたら、「事実を基にした映画」が「事実そのもの」であると考えて何が悪い?お前は映画の見方は基本的に自由だと最初に言ったじゃないか、そう仰る方もいるかもしれません。
確かにそうです。
「事実を基にした映画」が「事実そのもの」と考えたからといって他人に迷惑をかけるわけでなし、そう考えるのもアリなのかもしれません。
けれど、自分があえて「事実を基にした映画」はフィクションだと捉えるべきだと主張するのは逆のパターンが考えられるからです。
逆のパターンとはつまり、「事実を基にしていない映画」が「事実を基にしていないから」という理由で低い評価を受けることを指します。
去年観た映画に、1960年代のミシシッピーを舞台に、白人女性と黒人のメイドの関係を描いた『ヘルプ 心がつなぐストーリー』という作品があります。
自分はかなり気に入っている一本なのですが、この映画の原作はキャサリン・ストケットの書いた小説です。
つまり、映画の中で語られたエピソードはストケットの頭の中で創作されたものだと言えます。
しかし自分はそれの何が悪いのかがよくわかりません。
ある映画を観て感動したとしたら、その映画が事実を基にしていようがいまいが、感動は本物だと思うのです。
少なくとも自分は、「事実を基にしている映画」も「事実を基にしていない映画」も同様のスタンスで鑑賞に臨むようにしています。
それで特に何か支障があったことはありません。
作家が小説や映画を作るのは、あくまでクリエイティブな仕事であって、事実は素材です。素材を材料にして、それをいかにして料理して、新しい創作物を創りだすのが彼らの仕事なんですね。
ひどい人になると、桶狭間の戦いのシーンを見て、史実と違うなんて文句をいう人がいますが、そんな人は映画なんか見てないで、タイムマシンでも発明して実際に見てこないと満足しないでしょう
いや、まったくおっしゃる通りです。せぷさんの意見に強く同意します。
さらに、
>「事実を基にしていない映画」が「事実を基にしていないから」という理由で低い評価を受ける
まさかとは思ってたんですが、世の中には本当にそういう考え方をする方がいるらしい。
もう7、8年前だと思いますが、ある方の映画感想サイトの記事で「最近の、特に若い映画ファンの中には、事実が元になっているとか実際にあった事件をベースにしていると謳う映画のほうが、フィクションよりも映画的価値が高いと感じる人が多くなっているらしい。私にはそのような感覚がまったく理解できない」というような意見を目にしたことがあり、「うんうん俺もそう思う!」と心に深く頷いたことを思い出しました。
しかし、近年、私の実感ではここ十年くらいでしょうか、まあ、やたらと映画の最初に「この映画は事実に基づく」だとか「実際に起きた事件をもとにした物語」とか、ものものしい一文が出てくる映画が目立ち始めて、これまた私の偏見かも知れませんが、そういった映画の大抵が「だからなんなんだよ、つまんねーよ!」と言いたくなる物ばっかりで、もう最初にその手のメッセージを目にした時点で「またかよウザッ」と半ばウンザリするようになってしまいました。
だいたい、事実を元にしてようがどうしようが、映画そのものが面白くなかったらどうしようもないじゃん、いかにも重々しく宣言しやがってバッカじゃねえの(口が悪い)と、身も蓋もない文句をぶつけたくもなりますよ、ここまで多いと。
だいたい多くの観客に支持され長い年月を経ても廃れない物語(映画)、真に優れたフィクションというものは、どれほど荒唐無稽な話でも、その根幹には必ず現実世界の我々の思いを巧みに写し取った普遍的なテーマや共感を呼べる描写を含んでいるものです。「クロニクル」だってそう。一見荒唐無稽な超能力描写満載の映画にも関わらず、一部の観客に主人公の気持ちが痛いほどに分かる……と強い共感を抱かせるのは、あの映画がちゃんと人間を描いているからですよね。私はあの映画に描かれた超能力なんてこれっぽっちも信じていませんが、あの映画がフィクションだからと言って、優れたドキュメンタリー映画よりも格が下だの、事実がベースにある映画より作品としての価値が低いとはまったく思いません。
とりあえず事実と言えば観客を呼べると思ってる作り手や、安易な宣伝ばっかり仕掛ける能無し広告屋には猛省を促したい。お前ら、みんなフィクションの力を舐めてんじゃねえ。そんなに簡単に乗せられると思ったら大間違いだぞ、反省しろ!
あ、けどですねせぷさん、『死霊館』はね、あれはもう絶対に完璧に、最初から最後までぜんぶ事実ですよ?
だってほら、映画のモデルになったあの家族の方々や、存命のゴーストハンターの婆ちゃんが証言してる映像を動画サイトで見れますもん。いやぁ、ほんとにほんとの事実を元にした映画は、事実を騙るだけのそこらの凡作とは格が違うなぁ、すっげえなぁと、予告編を見る度にワクワクします。
実話最高、事実万歳! せぷさんの太鼓判もあることですし、これは必ず見に行かなくちゃ、と思ってます。
あとちょっと前にあった妻夫木くん主演の某大河、○地人で、重要な戦のシーンが全てスルーされたのはキレそうになりました。主人公が活躍する場はそこしかなかったのに、ナレーションだけで済まされたりとか。
超久しぶりに、一つの記事にコメントが三つもつきました。前回はいつのことだったのか、思い出せません。
>雫石さん
>そんなに事実通りがいいのなら、ノンフィクションかドキュメンタリーを見ればいいです。
そうそう、そうなんですよ。
事実を基にした映画や小説は決してノンフィクションやドキュメンタリーではないんですよね。
ノンフィクションやドキュメンタリーに嘘があっては困りますが、事実を基にしたそれらには嘘があって大いに結構だと思います。
>桶狭間の戦いのシーンを見て、史実と違うなんて文句をいう人がいますが
笑止ですよね。
実際桶狭間の戦いがどんなものだったのか、よくわかっていないはずですが、、、、もしかしたらその人は実際にタイムマシンで桶狭間の戦いを観てきて、事実と違う!といってるのかもしれませんね。笑。
>S.K.ラッセルさん
>いや、まったくおっしゃる通りです。せぷさんの意見に強く同意します。
ラッセルさんにそう言ってもらえると心強いです。
>、ものものしい一文が出てくる映画が目立ち始めて、
いや、実際多いと思います。
事実を元に映画を作ること自体が悪いとまでは言いませんが、「事実を基にした感動のヒューマンストーリー」などと宣伝をされると観に行く気が半ば失せてしまいます。
それしか売りがないのかよと言いたくなります。
>あの映画がフィクションだからと言って、優れたドキュメンタリー映画よりも格が下だの、事実がベースにある映画より作品としての価値が低いとはまったく思いません。
そうですよね。
実際映画史に残る作品、記憶に残る作品には事実を基にした作品が少ないような気がします。
>『死霊館』はね、あれはもう絶対に完璧に、最初から最後までぜんぶ事実ですよ?
あはは、そうなんですか?
だったら、大阪での上映館が少ないなんてことを嘆かずに、今すぐにでも観に行って、どんな心霊事件が起きたのか、確認しに行かなくっちゃ!!
感想を聞かせてくださいね。
>あなるんるんさん
>初コメです。
うわっ、あなるんるんさんだ!あなるんるんさんは絶対人のブログにはコメントしない人なのかと思ってましたよ。
驚きとともに嬉しくもあります。
>原作者へのリスペクトは必要だと思います。
ですよね。
小説が映画になる際、もしくは続編が製作される際には、原作者、もしくは前作へのリスペクトは不可欠ですよね。
リスペクトのない作品も多すぎます。
自分にとっての一番のそれはあまりに前作へのリスペクトがない『ターミネーター3』ですね。
>妻夫木くん主演の某大河、○地人で、重要な戦のシーンが全てスルーされたのはキレそうになりました。
ここでは伏字にする必要はないですけどね。笑。
合戦シーンは大河ドラマの売りのはずなのに、それをなくしてどうするんでしょうね。
ちなみに『八重の桜』の攻城戦はかなり迫力がありましたよ。
毎週バンバン人が死んでいって個人的にすごく満足しました(←誤解されそうな表現)。