この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

映画『ガタカ』のラストシーンについての考察、その補足。

2018-01-24 21:48:19 | 旧作映画
 昨日の記事の補足です。続きと言ってもいいかな。

 昨日の記事、自分ではおおよそ間違ったことは言ってないつもりではあるのですが、まとめ方がイマイチでしたね。
 人間賛歌って何やねん!
 言いたかったのは、自分の考察通りであれば、『ガタカ』という映画は、主人公は自ら死地に赴き、その友人は自ら命を絶つという、鬱なことこの上ない結末になるのですが、自分はこの『ガタカ』を悲劇だとは考えていないってことです。
 主人公とその友人がラストで死ぬのに悲劇ではない?
 そうです、そう思います。

 一般的に自殺者は望んで死ぬわけではありません。
 絶望し、苦悩し、その結果死を選択します。
 それは悲劇以外の何ものでもない。
 
 翻って『ガタカ』のビンセントとジェロームはどうでしょう?
 命という代償を払うことになりましたが、ビンセントは「宇宙飛行士になる」という子どものころからの夢を叶えることが出来ました。
 亡くなる瞬間、彼はきっと至福だったに違いありません。
 ですから彼の死は悲劇ではない。

 一方ジェロームはどうでしょう?
 ビンセントが宇宙飛行士になることは彼にとっても夢でした。
 ビンセントが宇宙に旅立ち、彼は充たされた気分であったでしょう。
 彼自身が命を絶つ選択をしたときもそれは変わりなかったと思います。
 彼の死もやはり悲劇ではない。

 彼ら二人の死によって、この映画は、生きるとはどういうことなのか、命とは、夢とは、友情とは、そういったことを示してくれるのだと思います。

 何だかまたまとまりが無くなってきてしまいました。笑。

 本当はまだ語りたいことがあったんですけれど、それはまた別の機会に回したいと思います。
 
 
 
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