この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

漢字の読み間違いをすることは恥ずかしいことではない。

2019-10-11 20:59:00 | 戯言
 本当なのかどうか知りませんが、居酒屋で竜田揚げを注文する際、「りゅうたあげをください」と頼んだ人がいたそうです(こちら)。
 そういう読み間違いをする人の話を聞いたとしても、自分はそれを恥ずかしいことだとは思いません。
 竜田揚げを「りゅうたあげ」と読む人がいて、自分が思うことがあるとしたら、「この人はこれまで竜田揚げを食べることがあまりなかったのだな」ってだけですね。

 竜田揚げに限らず、自分は漢字の読み間違いをすること自体、恥ずかしいことだとは思いません。
 なぜなら、日本語の漢字ってそれだけ奥深く、難しいものだと思うからです。
 
 例えば初見で出汁を「だし」と読める人はいないと思います。
 素直に読めば「でじる」ですよね。
 料理のレシピ本を読んだり、実際料理を作ったりする過程で、出汁を「だし」と読むことを知るのではないでしょうか。
 普段料理をしない人が出汁を「でじる」と読んだとしても、自分はそんなに恥ずかしいことだとは思わないですね。

 いや、竜田揚げを「たつたあげ」と読むのも、出汁を「だし」と読むのも常識の範疇だ、それを読めないことは恥ずかしいことなのだ、という人もいるかもしれませんね。
 そういう人には、じゃああなたは竜田揚げと唐揚げの違いを説明出来ますか、竜田揚げと唐揚げの違いなんて常識だと思うけど、と言われたらどうしますか?
 常識なんて人それぞれ違うものですよ。
 誰だってすべてのことを知っているわけではないですよね。
 漢字の読みを知らないからといってそれがどうだというのでしょう?

 漢字の読み間違いをすることは恥ずかしいことではないと述べました。
 しかし恥ずかしいことは別にあります。
 例えばある人が出汁を「でじる」と読んだとします。
 そしてその読み間違いに気づいた人がいたが、それを指摘しなかった。
 原因は二つ考えられます。
 一つは読み間違いをした人が普段から何かしら間違いを指摘されても意に介さず、間違いを指摘しても意味がない人だと周りから思われている。
 もう一つは読み間違いに気づいた人が故意にその間違いを指摘しなかった。
 どちらも恥ずかしいことですよね。
 本来、読み間違いに限らず、人が何か間違いをしている場合、気づいた人はきちんと間違いを指摘してあげるべきです。
 間違いを指摘することは親切な行いなのです。

 自分は親切な人間ではないので他人の間違いを指摘することはあまりないですね。
 稀に指摘することがあってもそのことで感謝されることはまずないです。
 間違いを指摘されて、それが事実であったら、ちゃんとそのことに感謝しましょう。
 決して易しいことではないですが。
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