この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

いろいろと目をそらさなければいけなかった『映画 えんとつ町のプペル』。

2021-01-12 23:49:02 | 新作映画
 廣田裕介監督、西野亮廣原作・脚本・製作総指揮、『映画 えんとつ町のプペル』、1/11、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞。2021年4本目。

 というわけで、三連休最終日に『映画 えんとつ町のプペル』を観てきました。
 期限切れ間近のチケットがなければ観に行かなかったとは思いますが、一応気にはなっていたのです。
 STUDIO4℃の前作『海獣の子供』の映像の美しさには目を奪われましたからね。
 もしかしたら観に行くべき作品なのかもしれない、そう思っていました。

 以下感想ですが、人によっては些細なことにこだわっているなぁと思われるかもしれません。
 その際はご容赦ください。

 『えんとつ町のプペル』の舞台は「えんとつ町」です。
 「えんとつ町」という以上はえんとつがたくさんある町です。
 えんとつがたくさんあるということは工場もたくさんある、ということですよね。
 工場がたくさんあるならば、そこで作られる製品も大量でしょう(何が作られるのか、作中明らかにはされませんでしたが)。
 にもかかわらず、えんとつ町はどこの町ともどこの国とも交易をしていないという設定なのです。

 どことも交易をしていない町に工場がたくさんあって、製品が大量に作られている?
 そもそも大量に作られている製品の原材料はどこから調達しているの?
 原材料もえんとつ町で産出している?
 えんとつ町で産出する原材料をえんとつ町で加工してえんとつ町で消費しているわけ?
 そんな消費サイクルってちょっとあり得ないと思うのだけれど…。

 えんとつ町はえんとつから吐き出される煙によって星が見えないという設定です。
 星が見えないというだけでなく、住民の多くは煙の向こうに星が存在することすら知りません。
 でもある日突然星が見えなくなったわけではないはずです。
 煙によって次第次第に星が見えなくなっていったのでしょう。
 その間に住民たちはどうにかしようとは思わなかったんですかね?
 為政者のいいなりだったのか?

 一応えんとつ町でなぜ星が見えないのか、その理由があるキャラクターの口から語られはします。
 しかしその理由が「んなアホな!」と言いたくなるようなものなのです。
 そんな理由で星が見えなくなって、住民たちはそれで納得したんですかね?
 住民たちもアホだったのか。

 『映画 えんとつ町のプペル」は少年ルビッチが友だちのゴミ人間プペルと共に「煙の向こうには星がある」という真実を追い求めるお話です。
 真実を追い求めるルビッチたちの姿は感動的かもしれません。
 しかしこの物語で感動するためにはこの物語の持つ様々な設定上の矛盾から目をそらさなければいけないのです。
 何だかずいぶん皮肉だな、と思わずにはいられません。

 お気に入り度★★☆、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。

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