この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ただの憐れで愚かな男でしかなかった『ジョーカー』。

2019-10-06 23:42:25 | 新作映画
 トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演、『ジョーカー』、10/5、Tジョイ久留米にて鑑賞。2019年45本目。


 前評判が尋常じゃなく高かった『ジョーカー』ですが、自分にはただの憐れで愚かな男のお話にしか思えませんでした。
 本作のアーサーが後にバットマンの宿敵であるジョーカーになるとは到底思えないですよね。
 まず何といってもアーサーには悪のカリスマとしての知性が欠けているし、基本善人だし(なぜ小人を殺さない!?)、それらを抜きにしてもバットマンとなるブルース・ウェインとは年齢が離れ過ぎています。

 なので本作はアメコミのキャラクターである「ジョーカー」の実写映画化ではなく、一人の憐れで愚かな男のお話と捉えた方がよさそうです。

 アーサー・フレックのどこに憐れみを感じるかについては今さら語る必要もないかと思います。
 彼に降りかかる様々な不幸は見ていて胸が痛くなるようでした。

 では彼は何が愚かだったのか?
 愚かなのは人を、特に母親であるペニーのことを信じることが出来なかったことですね。
 それは致命的でした。

 物語の序盤、ペニーはアーサーのことを「ハッピー」と呼び、アーサーもまたペニーのことを甲斐甲斐しく世話をしていました。
 二人の関係は良好であり、二人の間には確かに愛と呼べる感情はあったと思います。
 しかしアーサーは病院のカルテから自分が虐待を受けていたことやペニーの実の子ではないことなどを知り、逆上し、ペニーを殺してしまうのです。
 愚かであるとしか言いようがありません。

 アーサーが虐待を受けていたこと、そしてペニーの子ではないこと、それらはあくまでカルテの中に書かれていただけのことであって、確定した事実ではありません。
 断定までは出来ませんが、おそらくカルテに書かれていたことはほとんどがデタラメなのではないでしょうか。
 なぜそう思うのか?
 まずアーサーが虐待を受けていたのであれば、アーサー自身がそのことを覚えていないのはおかしいからです。
 虐待で受けた傷のせいでそれに関する記憶がすっぽり抜け落ちたというのは都合がよすぎます。
 カルテはウェイン家が用意したものと考えられるので、ウェイン家に都合がいいように書かれてあるのは当然なのです。

 ペニーはペニーの信じる範囲内においてはすべて事実を語っていたのだと思います。
 信じる相手を間違えていたことは言うまでもありませんが。

 ペニーが事実を述べていたと思う理由はもう一つあります。
 もしペニーが嘘をついていた、アーサーを長く騙していたのであれば、アーサーがペニーを殺したことに正当な理由が出来てしまうのです。
 一方ペニーはすべて事実を語っていた、カルテに書かれてあることはデタラメだったとするならば、アーサーは誤解で愛する者をその手にかけたことになります。
 どちらが悲劇性が増すか、言うまでもありません。

 アーサーはカルテではなく、ペニーの言葉を信じるべきでした。
 しかしアーサーに限らず、人は何を信じるべきなのか、その選択をしばしば間違えるものなので、アーサーがペニーの言葉を信じられなかったとしても不思議はないのかもしれません。

 
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