この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

懲りない男。

2013-01-07 23:39:15 | インターネット
 年末に伊坂幸太郎の新作『残り全部バケーション』の解釈に関する議論についての記事を書きました。すると、何人かの方から否定的なコメントがありました(ごく親しい人から、仕方ないなぁという感じの生暖かいコメントもありましたが…)。
 あなたは相手を言い負かすことがそんなに大事なのですか、というようなことも言われました。
 自分は、議論をする際、相手を論破する気概を持って臨むのが礼儀である(それが出来ないならそもそも議論などするべきでない)というのが持論です。そして、お茶を濁すような発言で対応する方が失礼に当たる、自分はそう考えます。
 その上で、勝ちとか負けとかそんなことはどうでもいい、と考えています。
 大切なのは両者が議論を重ねることで真実を得ること、もしくは真実に近づくこと、と自分は信じています。
 例えて言えば、高校球児が絶対に勝つ、という意気込みで試合に臨むようなものでしょうか。
 この試合には負けてもいいや、そんなふうに考えて試合に臨む高校球児はいないですよね。もしいたとしたら相手チームに失礼であると自分は思います。
 両チームの選手が全力を尽くしてプレイをすること、それが良い試合であることの唯一の条件ではないでしょうか。その結果どちらかのチームが勝ち、どちらかのチームが負ける。
 でも、その勝ち負けに大した意味はないと思うのです。
 別に勝ったチームが偉くて、負けたチームは恥である、というわけではないはずですから。
 大事なのは全力を尽くして試合をすること。勝ち負けなんて二の次、三の次じゃないでしょうか。
 議論もそれと同じだと思います。
 大事なのは全力で議論をすること、それによって真実を得ること、もしくは少しでも真実に近づくこと、そうではないでしょうか?
 でも、インターネットの世界では、相手を論破する気概を持って議論に臨むことは失礼に当たるようです。適当にお茶を濁すような発言でその場を収めることが尊い、そう考えてる人が多いように自分には見受けられました。

 これだけ痛い目に合ったのだから、同様の記事はもう書かないだろう、と思われた方がいるかもしれませんが(いないとは思うけど)、それは甘いです。
 去年の秋ごろに、映画『ダークナイト・ライジング』のラストシーンの解釈、つまり、ブルース・ウェインは生きているのか、死んでいるのかについて記事を書いたら、やはりコメント欄は否定的な意見ばかりでした。
 二つの記事はそれほど間があるわけではないので、我ながら懲りない奴だなぁと思わずにはいられません。

 ついでに言えば拙ブログにおいて議論に関する記事はこの二つだけ、というわけではありません。
 去年の春ごろにも同じく議論をテーマに記事を一つ書きました。
 ミクシィの乙一コミュにおいて乙一=中田永一派(つまり自分)と乙一≠中田永一派の間で中田永一は乙一か否かで論争が起こり、そのことを記事にしたのです。
 自分の議論に対するスタンスは今とほとんど変わっていません。
 議論をする際は相手を論破する気概を持って臨む、お茶を濁すような発言はしない、この二つです。
 ただし、その記事には否定的なコメントは一切つきませんでした。
 なぜかというと議論をして、それについての記事を書くまでに三年間の間があったから、つまり「乙一/中田永一」論争に決着がついた後に記事を書いたのです。
 乙一自身が乙一=中田永一であることをツイッターで明かしたんですよね。
 結局このときは自分が正しかったってわけです。

 たぶん、結論が出る前に記事を書いていたら、なぜあなたは自分の意見を他人に押し付けようとするのかとか、言い負かすことがそれほど重要なのかとか、否定的なコメントが多かったのだろうと思います。
 同じような記事を書いたつもりで、こうまで反応が違うというのは、自分にとってとても興味深いです。

 なぜ今ごろになってこのようなことをつらつら書いているかというと、自分の考えが正しい!!ということを改めて主張したかったから、、、ではなく(んなことはどうでもいい)、ある記事を読んだからです。こちら

 その記事には『ダークナイト・ライジング』のクライマックスでのバットマンの脱出方法が示されていました。
 自分は、あの場面においてバットマンことブルース・ウェインは脱出するすべはない、ブルースは核爆発に巻き込まれて死んだ、ラストでアルフレットが見るのはブルースの幻である、という結論を出しました。
 その結論には絶対的な自信があります。
 しかし、絶対的に自信があることも覆されることってままありますよね。
 そういったときって、あなたはどう思います?屈辱だと考えますか?
 自分はそれを屈辱だとは考えません。むしろ面白いと思います。
 例えて言えば、このパズルには絶対に解はないと断定したものが、自分の思いも寄らぬやり方で解を示されたときのような感じでしょうか。
 なので、自分は興味津々その記事を読みました。
 その記事には、アメリカで売られているバットの玩具には射出脱出装置がついている、だからブルースは自動操縦装置をセットした後にその装置を使って脱出したのだろう、というようなことが書いてありました。
 ・・・・・。
 射出脱出装置、つまり緊急脱出装置がバットには備えられているかもしれないなんてことは真っ先に考えたよ!!
 緊急脱出装置は墜落が免れない場合にコクピットからパイロットを射出する装置のことで、その際、機体の爆発に巻き込まれないようにパイロットを少しでも遠くに離す必要があるから、火薬を使ってパイロットを座席ごと打ち出すんですよね。つまり、緊急脱出装置っていうのはコクピットでバズーカをぶっ放すようなものなんです。
 コクピットでバズーカをぶっ放して、機体が安定した飛行を続けられるわけがない。
 その答えは不可!!不可ったら不可!!

 何だよ、結局自分が正しいことを主張したかっただけなのかよ、と思われる方もいるかもしれませんが、自分がその記事で注目したのは脱出方法についてではありません。
 その記事にはこう書いてあったんです。

 最終章にふさわしい感動的なエンディングが用意されているが、そこに至る経緯に疑問を抱いた人もいるかもしれない

 いないよ!!
 そこに疑問を抱いた人はいない!!
 ブルースが生きている、と結論付けた人は、ラストシーンの、アルフレッドがパリの街中で彼を見つけた描写からそれを導き出しているだけだから。
 自分は『バットマン・ライジング』のレビュー記事を書いた当時、ブルースがどうやって脱出したのか、それに言及しているレビュー記事がないか、散々探し回ったけど、見つかりませんでした。

 というわけで今さらこんな記事を書くのは、あの場面でブルースはどうやって脱出したのか、疑問を抱いた人に自分なりの考えを聞かせて欲しい、と思ったからです。
 出来たら、あの場面から脱出出来るわけがない!!という自分の思い込みを吹き飛ばして欲しいのです。
 思い込みが吹っ飛ばされるのってゾクッとするぐらい気持ちいいんですよね(変態か!!)。
 宜しくお願いします。
コメント (4)
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