この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

愚痴について。

2012-07-06 20:51:20 | 戯言
 たまに、他人の愚痴は聞きたくないし、自分も愚痴は言いたくない、って人を見かけます(たまに、っていうか、ちょくちょく?)。
 自分は愚痴を言わない主義だ、というのは別に構わないと思います。他人に迷惑を掛けない限り、どんな主義だって基本自由なんだし。
 でも、見ず知らずの人間というならともかく、親しい人の愚痴ぐらい聞いてあげてもいいんじゃないの?

 人間、生きてたら、誰だってつらいことがあるよね。
 長く生きていたら、誰だって一度ぐらいはもうこれ以上生きていたくないと思ったことがあるはず(生きていたくないなんて思ったことは一度もない、という人は、それはそれでいいけど、そういう人はこの記事を読まなくて結構です)。
 そういう人生の苦境において発するSOSが愚痴なんじゃないの?って自分は思うけれど。
 苦しいときに苦しいって誰かに助けを求めることが、そんなに恥ずかしいことなの?そんなに迷惑?
 もし親しかった友人が愚痴の一つもこぼさず、首を括って死んだら、あ~、愚痴を聞かされないでよかった!!って喜ぶわけ?

 自分は、自分が親しいと思っていた友人が、首を括って死んで、驚いたし、悲しかったし、でもそれと同じぐらい腹が立ったけどね。
 どうして死ぬ前にもっと愚痴を言ってくれなかったんだ!!ってムカッとした。
 そんなに自分のことが信用できなかったのかよ!頼りにならないと思ったのかよ!ってそいつに文句を言いたくなったけれど。

 確かに、愚痴を聞いたからといって具体的に何か救助策を授けることが出来るかっていうとそういうわけじゃない。
 でも、誰かに愚痴を聞いてもらえたら、気分的に楽になるよね。
 気分的に楽になる、それが重要なんだよ。

 ぶっちゃけ、人が自殺する理由の99%はくだらないことなんだよね。
 あー、そりゃ自ら命を絶っても仕方ないわ、って周りが納得できるように理由で死ぬ人って本当に稀なんだよ。
 でも自殺しようとするまで追い詰められた人ってそのことに気づかないんだよ。
 そして、誰かに愚痴を聞いてもらったら、往々にしてそのことに気づく。
 だから、誰かに愚痴を言うこと、誰かの愚痴を聞くことはとても大切なことなんだよ。

 どこかのブログ運営の指南サイトで、(読者が不快になるので)ブログにはネガティブな記事を書くことは控えましょう、みたいなことが書かれていて、猛烈に反発したくなったけどね。ふざけんなよ、クソ馬鹿野郎!!とも思ったよ。
 
 そりゃ確かに楽しいネタばかり提供できたら、最高だろうね。それは認めます。
 でも苦しいとき、つらいとき、悲しいとき、苦しいことがありました、つらいことがありました、悲しいことがありましたって書くことのどこがいけないの?それって恥ずかしいことなの?迷惑?
 生きていたくないって思うことがいけないの?
 生きていたくないと思うことは構わないけど、生きていたくないとブログに書くことはいけないの?
 何それ。
 そこまで読者のことを慮ってブログを運営して、何が面白いの?

 はっきり言っておきます。
 このブログでは愚痴を言いたくなったら愚痴を書きます。
 苦しいことがあったら苦しいことがあったって書きます。
 つらいことがあったらつらいことがあったって書きます。
 悲しいことがあったら悲しいことがあったって書きます。
 生きていたくないと思ったら生きていたくないって書きます。
 そういう記事を読みたくないという人は読まないで結構です。
 っていうかむしろ読むな!!!

 あ、何だかつい感情的になっちゃいましたね。すいません。
 別にネガティブな記事を率先して書くぞ!!と言ってるわけではありません。
 明日は楽しい記事を書けたらいいなぁ。
コメント (7)
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