この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

オーロラなんて大したことない。

2009-02-10 21:08:34 | 日常
 オーロラなんて大したことないんじゃないかって思ってます。実際に目にする機会があったとしても感動することはないだろう、そう思っています。
 何いってんだ、オーロラは地球上でもっとも神秘的な事象の一つじゃないか、そういう人もいるかもしれません。
 が、自分にはそうは思えないんですよね。
 
 たまにテレビの紀行ものでオーロラを見に行く企画があると見に行った人はことごとく大仰に感動して、中には涙を流す人もいます。
 でも自分には、それはオーロラの美しさに感動したというより、それ以外の要因が重なって流させた涙なのではないかって思うのです。

 例えば毎日オーロラを見慣れているエスキモーのオッサンだったら、そのオーロラがどれほど見事なものであっても、そうは感動しないはずです。
 せいぜい「今日のオーロラはいつにも増して綺麗だべさ~、田吾作どん」ぐらいのものですよ、きっと。

 人は、いつもとは違う、非日常的な体験をすると感動をする生き物なのだと思います。
 その非日常的な体験のために何かしらの準備、苦労、努力をしていれば、感動するのはなおさらです。
 いわば、感動するための舞台を自ら用意しているのですから。

 初日の出をわざわざ山に登って見る人がいます。
 そして無事ご来光を拝めたら今年はいい年になるに違いない、そう自分に言い聞かせます。
 でも、1/1の朝日が1/1以外の朝日に比べて殊更綺麗かというとそんなことはないはずです(冬の空が澄んでいるにしても)。
 それなのになぜ初日の出に感動するかというと、それを見るために早起きして、身支度して、苦労して山に登ったからですよ。
 だから1/1の朝日はありがたみが特別違うわけです。
 オーロラを見て感動するのもそれと同じようなものではないか、そう思うのです。

 今述べたことはあくまで自分個人の考えで、それを誰かに強制するつもりはありません。
 ずいぶん捻くれた考えだと思う人もいるでしょう。
 しかし自分が本当にいいたいことは、わざわざ非日常的な体験をするために遠くに行かなくても、日常の中にある、何気ない風景にだって感動は潜んでいるのではないか、っていうことです。
 例えば何でもないある日、ふと見上げた先にある夕焼けの美しさ。刻一刻と闇に侵食されていく、茜と紫が混じった空は決してアラスカのオーロラにも負けるものではない、と思うのです。
 あまりに見慣れてしまったせいで感動を見出せなくなっている風景が我々の周りにはまだまだきっとあるはずなのです。

 というような理由で自分は海外旅行にまったく魅力を覚えません。
 日本が一番だ、と思ってるわけではないのですが、高い金を払ってまで見たいと思うものがないのです。
 アラスカのオーロラに限らず、エジプトのピラミッドにしても、ナスカの地上絵にしても、見れば感動するだろうな、とは思っても、さほど見たいとは思いません。

 そんなどうしようもなく捻くれた自分なのですが、なぜだか今度韓国に旅行に行くことになりました。
 韓国という国に特に魅力を感じるわけでも憧れがあったわけでもありません(嫌いってわけでもないです)。
 韓国に行った際は向こうからブログを更新したいと思っているので、期待せずに待っていて下さい。
コメント (6)
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