センソウの個人的思い出とかなんか色々

かくれんぼ同窓会における一大イベント「センソウ」の個人的な思い出等を綴ります。いわゆる「センソウ日記」とは少し違います。

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寒川事変(センソウ2011)

2015-12-04 03:27:55 | センソウ逸話、こぼれ話
これは2011年の12月25日、クリスマスに起こったことで、私が所属していた肥後国とは無関係であり、その場に居合わせはしなかったものの、間違いなくセンソウ史に残る大きな事件だと思います。

これはアルバニア、ユートピア、ムガール帝国、琉球王国の4か国が入り乱れた大激戦であり、この事件によって一気にセンソウ2011の趨勢が変わりました。実際に参加していない私が書くのもどうかと思いますが、4年の月日が流れこの出来事を経験したカクレンジャーは皆卒業してしまったので、風化させないためにも私が知る限りのことを記録として残すことにしました。当事者たちからの伝聞の記憶を頼りに書いているので、細部で間違いがあるかもしれません。もし当事者がセンソウ日記を残していたら、そっちを参照した方が良いかと思います。



まず、簡単な背景として、センソウ開始当初からずっと上位に位置付けていたアルバニアが様々な事情により他国からあまり良い目で見られておらず、終戦が近付くに連れ、全体的に「打倒アルバニア」の雰囲気が蔓延していっている感がありました(私個人としては、同国には同級生が多くいたこともあり応援していましたが)。そんな空気を察知してか、この時点ではポイントの収支が+であり安全圏にいたアルバニアは、カードの効果によって23日を休戦日としたり、全爆弾の所有国を確認したりと、襲撃されることのないよう最新の注意を払い、出来る限りの対策を施していました。22日に疎開先も決め、逃げ切り態勢に入りつつあったようです。

一方、このセンソウを通じて安定してポイントを稼いでいたユートピアは、終盤までアルバニア同様安全圏に位置していました。しかし、12月21日に肥後国による伝説の大阪襲撃をくらって一気に6万点以上を失い、最下位争いに巻き込まれることになってしまいました。


そしてそんな中、センソウのクライマックスである12月24日と25日に、某アルバニア国民(名前忘れたので以下Aさん)が神奈川県の寒川にて、バイトのシフトに入っているという情報を握っていたユートピアの天才軍師である大佐が、このバイト先を襲撃してアルバニアを最下位に突き落としてやろうと目論みます。そして自ら志願し、国王であったいすきんからこの襲撃における作戦の立案・遂行の全権を委任され(カッコ良すぎる)、その時点で爆弾を持っていた琉球王国とムガール帝国に協力を願い出ます。ここで爆弾を持っている三カ国が総力を結集してアルバニアに打ち込めば、一気に最下位に突き落とすことができるはずであり、この作戦には三国すべてにメリットがあることを説得したようです。
 最下位候補の筆頭であった琉球王国からすれば、自分たちが持っている爆弾を手放した上に単独最下位に他国を落とすことが出来るなら願ったり叶ったりであり、ムガール帝国としても持っている爆弾を終戦直前に手放せるのは大きなメリットです。
 そして、ここで終わらないのが大佐の凄いところであり、失敗した時のリスクを恐れる琉球に対しては、「この作戦の責任はすべてユートピアが負う。だからもし失敗したら、俺らに打ち込んでいいよ」と言い、一方で琉球に較べて余裕のあるムガールとは「これが失敗したら、琉球を裏切って一緒に打ち込もう」と密約を交わしていたようです。なんという二枚舌外交ww
 これで、アルバニア襲撃に失敗してもその時点でユートピアと熾烈な最下位争いをしていた琉球に二か国で打ち込むことで、ユートピアの罰ゲームを回避することが出来ます。事態がどう転ぼうが、ユートピアの順位が上がるように緻密に練られた作戦でした。

 
 そしてまず、24日。三か国連合軍がバイト先の周囲を張りこんでいましたが、結局ショッピングモールが閉まる時間になってもターゲットは確認できず、その日の襲撃は諦めました。標的は親の車で既に回収されており、広いショッピングモールなので見逃してしまったことが濃厚でした。

そして翌日、運命の12月25日。この日も早くから張り込んだ三か国連合軍。入り待ち襲撃は出来なかったようであり、出待ちの襲撃に全てを賭けていました。

一方アルバニアとしても、終戦の前日に遠隔地でバイトに入っているような危険な状況にある国民を放っておくはずがなく(寒川は高田馬場から800円以上かかります)、退勤時間に合わせて車でバイト先のショッピングモールに乗り込み、他国に襲撃する余裕を与えずに一瞬にしてAさんを回収する計画に出ます。そして、14時40分を少し回った時、居合わせた4か国全てにとって、予想外の形で事態が動きます。

道路脇で目を光らせていた大佐が、ショッピングモールの外周を通行していたアルバニアカーを発見したのです。折りしも赤信号で停止しており、電光石火の連携で他国と協力してアルバニアカーを取り囲み、身動きを取れなくしました。しかし、車を包囲するのみでは不十分であり、襲撃するためには窓ガラスを割るような犯罪に類する行為以外の手段で車内のアルバニア国民に触れなければならなかったのですが。・・・大佐がアルバニア国王ポンポリーナが乗っていた助手席のドアを引っ張ったら、呆気なく開いたそうですww

なんと、Aさんを相手に捕まる前に回収することが出来るかという一点に意識が集中していた国王は、ドアの鍵をかけ忘れてしまっていたのです。Aさんではなく自分たちが簡単に見つかってしまうことなど、完全に想定外だったのでしょう。


もうこうなってしまっては逃れる手立てはなく、まさかの展開に動揺しているアルバニアに向かってユートピア、ムガール、琉球王国が一気に襲い掛かりました。三カ国連合軍対アルバニアの、センソウ史に残る血みどろの戦いの火蓋が切って落とされました。


 14時44分、琉球王国がフェンリルを投下。一気に27200ptの大ダメージ。

 14時46分、ムガール帝国がヨルムンガンド投下、23400p(この時点で、ムガール帝国は抜け目なく現場から逃走)。
さらに二分後にはユートピアがハデスを投下、28200pt。

終戦までに残り24時間を切った段階でまさかの三カ国合同襲撃を食らってしまい、一気に絶体絶命のピンチに陥ってしまったアルバニアは、もはや逃げてなどいられません。襲撃先のアテはなく、爆弾を3つ抱えたままここで引き下がってしまっては敗戦が確定的。人数では劣るものの、なりふり構わずとにかく目の前の敵に持てる爆弾を投下する、古代スパルタばりに勇敢な捨て身の特攻作戦に出ました。

すぐさまユートピアにフェンリルを撃ち込み、+16200pt。しかし、ここでユートピアのとっておきが炸裂します。爆弾返しを可能にする鬼畜カード「フラガラッハ」の効果により、フェンリルをアルバニアに24200ptの高得点で撃ち返します。まさかの爆弾返しをされたアルバニアは苦し紛れに最下位候補筆頭と目されていた琉球王国にヨルムンガンドを投下しますが、琉球が切り札「アイギスの盾」(大學ボーナスや時間ボーナス、場所点を無効にし、さらに襲撃点から3000ptをマイナス)を使用し、二倍期間にも関わらず襲撃点はわずか4500ptに。それでもめげずに、続けざまに琉球へ17300ptでフェンリルを投下したところで、この4カ国が入り乱れた大惨劇は幕を閉じました。

結局、襲撃回数が計7回、襲撃の合計点が141000ptにも上る未曾有の大激戦となり、この一連の襲撃のみの収支を国別に見ると、ムガール帝国が+23400pt、ユートピアが+36200pt、琉球王国が+5400pt、アルバニアが-65000pt。そして爆弾は琉球王国が二つ、アルバニアが一つ所持するという結果となり、ムガールは完全に安全圏、ユートピアは大阪城襲撃における6万点オーバーのダメージから立ち直り、最下位の有力候補だった琉球王国も6か国中の5位ながら点差的には爆弾を処理しなくてもほぼ安全となり、アルバニア一国が一瞬にしてダントツの最下位に転落する、取り返しのつかない大損害を被ってしまいました。

 この後、アルバニアは車で千葉近辺を僅かな可能性を信じて彷徨うなどしていたらしいです。その日の夜、私が同期のPBやムヒムヒに純粋な意味での激励電話をかけましたが、誰も信じられなくなっていたアルバニア国王から出るなと厳命されたらしく、なかなか繋がらなかったのを覚えています。


そして、アルバニアが逆転するには琉球王国が襲撃成功して点数を伸ばさないことが前提で、同国に高得点で撃ち込むしかありませんでしたが、翌朝琉球がカード効果により嘘の襲撃報告を2度入れるなどして、完全にアルバニア国民の心をへし折りました。

そして、そのまま終戦。アルバニアは-60680ptという最終結果となり、最下位。五位の琉球王国(爆弾を二つ抱えたまま終戦)には42460ptもの大差をつけられる形となりました。


終盤に大きなドラマが起きるのはセンソウの醍醐味ですが、ここまで激しい肉弾戦が繰り広げられるのも珍しいのではないかと思います。「寒川事変」はユートピアの大佐のスーパーな頭脳があったからこそ起きたものであり、結果としてこのセンソウ史上稀に見る惨劇のきっかけとなった、センソウ史上稀に見る遠隔地高得点襲撃である「大阪襲撃」を行った肥後国の国民として、何か感慨深いものがあります。この三カ国連合軍によるアルバニア襲撃計画を知らなかった私は、襲撃報告が飛び交うメーリスや掲示板を、疎開先に向かう電車の中で興奮を必死に抑えながら固唾を飲んで見守っていたことを覚えています。

余談ですが、この年はまだ3倍期間が12月26日のみであり、25日は2倍期間でした。25日から3倍期間となる現在にこれと同じことが起こっていたら、さらに派手で恐ろしい結果になっていました。


現場に居合わせた当事者でもないのに書かせて頂きましたが、このセンソウの魅力が凝縮されたような事件が、少しでも風化されることなくカクレンジャーたちの記憶に残ればと思います。
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