センソウの個人的思い出とかなんか色々

かくれんぼ同窓会における一大イベント「センソウ」の個人的な思い出等を綴ります。いわゆる「センソウ日記」とは少し違います。

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成田事変について

2017-01-13 01:56:36 | 成田事変(アメリカ合襲国、セン...
センソウにおいて、多くの国が入り乱れる阿鼻叫喚の撃ち合いのことを「事変」と呼びますが、私の知る限り、人口に膾炙しているものは「寒川事変」と「成田事変」の二つが挙げられるかと思います。単なる三か国合同襲撃で撃ち合いに至らなかった場合は「合同襲撃」としてのみ括られ、事変とは見做されません。

これら二つの事変に共通していたことは、どちらも史上稀に見るド派手な死闘であったのはもちろんのこと、何よりもセンソウの行方を決定付けた大事件であったという点であり、これらの事変で最も損害を被った国がそれぞれの年の敗戦国となってしまったのです。

つまり事変は、センソウ全体から切り離して単独のイベントとしても大きな価値があるのみならず、26日間の大きな流れの中で見ても、最大のターニングポイントとなっている記念碑的な出来事なのです。

このブログの趣旨は、センソウ日記とは違い、センソウにおける様々な出来事を単独で切り抜いて紹介することですから、これらの事件について語らない訳にはいきません。いずれも私が参加していたセンソウに於ける事件ですから、なおさらです。


しかし、このうち寒川事変に関しては当事者でもないくせに書きましたが、自分も現場に居合わせていた成田事変についてはこれまで沈黙してきました。その理由は、現役生も多く体験した近年の出来事であり、まだ多くのカクレンジャーの記憶に生々しく残っているからというのが一番ですが、それ以外にも、そもそも書こうにも書けないという気がしていたからです。


この事件は様々な事象や思惑、策謀が複雑に交錯し捻じれるほど絡み合った末に起きた事件であり、その全てを描くことが出来ないのは言うまでもありませんが、大まかな全体像を伝えることですら非常に難儀に感じられたのです。


しかし、センソウ2016が終わって三週間近く経ち、このままこのブログを更新する意欲も時とともに(少なくとも今年の年末までは)薄れて行ってしまうだろうと考えた時に、ふとCMに林修先生が出てきて、私は非常に危機感を抱きました。成田事変について何かを書き残せるタイミングは、今しかないだろうと思えたのです。


この事件を体験した現役生が多くいるとは言っても、私と同じでそれらの人々の中でも成田事変の記憶は少しずつ薄らいで行ってしまうことでしょう。どれだけ強烈な記憶であっても、細部が時の波に段々と削り取られていくのは防ぎようがありません。そうであるならば、これまで書いてきた出来事のように、5、6年の歳月が経過してから書くよりも、今書いておいた方が良いのは自明の理です。

この事件に直接関わっていた国はアメリカ、中つ国、黄泉、全米であり、中でも私が所属していたアメリカのセシルと大佐が最も動いていましたが、この惨劇を体験した末端の人間の一人として、私が覚えている限りのことを記録しておこうと思います。


しかし、全く書き溜めていたものはなく、一から記憶を掘り起こしていかなければなりません。面倒くさがりですし、特別暇なわけでもないので、長い中断期間を挟んだりするでしょうし、ぶっちゃけ未完で終わる可能性の方が高いです。


果たして最後、東京駅付近で解散するところまで書くことが出来るのか、全く検討もつきません。それは東京と成田を歩いて往復することくらい厄介なことにも思えます。ただ、一歩一歩を踏みしめるように一文字一文字を積み重ねて、なんとかそこまでたどり着きたいと思います。
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