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加音カルチャースクール(2024)第1回「忘れてはいけない8月11日~加治木空襲から79年~」・・・加音ホール 会議室

2024-08-17 16:02:32 | 日記
8月17日14時から加音ホール会議室において【加音カルチャースクール(2024)第1回「忘れてはいけない8月11日~加治木空襲から79年~」】が開催されました。
受付で会費を払い資料をもらい、14時から開会しました。
【開会あいさつ】・・事務局より、「加音カルチャースクール」の概要と講師:加治木生活学校運営委員長 西迫 雅子 氏の紹介などがありました。
【講演の概要】
〇講師の自己紹介ほか・・あと1週間で90歳。小学5年生で終戦。戦後60年の時に、生活学校で加治木空襲のことを知らない人がいることを知り、体験者が生きている間に、生の声を記録に残す必要があると思い、仲間とともに知り合いを訪ね、体験談をまとめて『あなたに つたえたい 戦中・戦後』を出版(500冊)。思いもよらない反響があり、錦江校区コミュニティ協議会を中心に、若い人に引き継がれ活用されている。
〇8月11日その日のこと・・およそ30分で加治木の街が灰になり多くの犠牲者が出た内容を体験談と資料をもとに講演されました。(資料参照)
当時は小学5年生だったため、空襲警報が鳴っても危機感は、そんなになかったが、8月11日の空襲では空襲の恐ろしさを体験した。
〇終戦を迎えて・・戦後の混乱では特に食料が不足し、カタツムリ、イナゴなど食べられるものは何でも食べた。塩が手に入らないため、海水を煮て自宅で塩を作った。
引揚者の受け入れは、鹿児島市が空襲で受け入れ施設がないため、一時期は加治木の国立療養所が受け入れ施設として使用された。当時の沖縄はアメリカの施政下にあるため、沖縄出身者も日本本土で受け入れることになっていた。
学校制度の変更があり新制中学、新制高等学校、新制大学が発足し、その1期生となった。(資料参照)
〇終わりに・・安全で安心な暮らしを求めて、私たちにできることは、戦争の体験を次の世代に伝えて、二度と悲惨な戦争がない平和な世の中が続くことである。
錦江校区コミュニティ協議会を中心に毎年「8・11空襲の日・平和の集い」が開催され、若い人が中心となって運営されており、このような催しを通して、戦争体験が次の世代に引き継がれていくものと思われる。
以上で講演が終わり大きな拍手で終了しました。
【閉会】・・事務局より講師へのお礼の言葉と次回開催の予告があり、講師への大きな拍手で閉会しました。
会場の様子を写真で紹介し、資料をスキャンして添付します。
開会前の会場
開会(事務局長)
開会あいさつ(館長)
講師あいさつ・講演開始

閉会あいさつ(事務局長)

【資料】
















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