ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 山岡耕春著 「南海トラフ地震」 (岩波新書2016年1月)

2017年03月22日 | 書評
M8-9規模の南海トラフを震源域とする巨大地震をどう予測し、何が起きるか、どう備えるかを考える 第8回

3) 津波、連動噴火、誘発地震 (その1)

南海トラフ地震のおさらいをしておこう。南海トラフ巨大地震は、フィリッピン海プレートが南海トラフから日本列島のしたに沈み込んで発生する地震である。震源域が海域にあるため津波を引き起こす。南海トラフ沿いのフィリッピン海プレートは1年あたり5cmほどの速さで動いている。その際に沈みこむプレートの上に載っている日本列島の地殻を陸側に押し込んでゆく。地震が発生するときには、押し込まれた地殻が反発して一気に元に戻ろうとする。地殻は上にある海水を動かして津波となって沿岸を襲うのである。特にトラフ軸付近まで反発すると海底が大きく隆起し高い津波を発生させる。南海トラフでは巨大地震が発生すると、最悪ケースとして駿河湾から日向灘まで広い範囲が連動するとされる。広域津波災害に発展する。さらに2011年3.11東北地震に比べて、地震発生から津波が海岸の到達するまでの時間が短くて、10分もない。津波災害の悲惨さは1993年の北海道南西沖地震で奥尻島の津波は一瞬にして逃げ場のない200名の命を奪った。押し寄せた津波は海岸線付近の家屋を根こそぎ押し倒し、倒壊した家を海へ持ち去った。津波が去ったあとの街はがれきの山となり大きな漁船が打ち上げられ、鉄道の線路もはがされ曲がった。津波ハザードマップをみるとき、堤防での津波の高さよりも陸上での浸水深さに注目するべきである。最高津波高さが維持されて地上を覆い尽くすわけではなく、波であるから高低があり、それに海岸からの距離や地形によって浸水する深さが異なる。注目すべき浸水深さは30cmと2mという値である。30cmは膝くらいまで水が来て帰るため、足をとられて転倒すると体ごと海へ持ってゆかれる極めて危険なのである。侮ってはいけない。浸水深さ2mを超えた場所ではほとんどの木造の家は流されてしまい。後には基礎しか残らないのである。だから高台まで避難できない時は鉄筋コンクリートの建築物に逃げ込む必要がある。津波の予測は震源の想定に大きく影響される。海底の地形が分かると津波の伝わる様子は予測できる。海上保安庁の作成した海底地形図が地震予測に参考となる。内閣府が「最大クラス」の震源モデルを作成し、そのモデルに従った津波ハザードが計算されている。南海トラフ巨大地震の特徴は陸地に近い場所が震源地域となるため、津波が海岸に到着するまでの時間が短いことである。太平洋に面した海岸には高い津波が直接到着する。一方伊勢湾、大阪湾、瀬戸内海沿岸など入り口が狭い湾内には津波は入り込みにくい。外界では数分から20分ほどで津波が到着する。伊勢湾では1時間ほど、大阪湾では2時間ほどかかって津波が到着する。沿岸各地の津波被害の予想を北から南へとみてゆこう。

静岡県は海岸線全体が外海沿いであるため津波の被害が大きくなる。かつ震源地に近いことから津波到達時間は短く時間的余裕がない。伊豆半島の下田では最大33mの津波が襲い、市街地の浸水深さは2mを超える。駿河湾の奥に位置する沼津市、清水市あたりは広い範囲で浸水する。焼津から御前崎にかけて高い津波が押し寄せ海岸線は浸水する。御前崎以西の砂丘海岸津波は砂丘を超えて市街地に達して浸水する。天竜川では津波が遡上し浜名湖のに陸にかけて広い範囲で浸水する。
愛知県は静岡県に比べて比較的津波の影響は少ない。それは愛知県の太平洋沿岸はほとんど崖になっているからで、津波が押し寄せても内陸への影響は少ない。愛知県が大きな影響を受けるのは渥美半島の伊良湖と知多半島の岬である。
三重県は、伊勢湾の外か内によって津波?街は大きく異なる。伊勢湾内では津波は低い。志摩半島から熊野にかけての外海はリアス式海岸である。尾鷲市では過去の地震で何回も津波に襲われた記録がある。
和歌山県は紀伊半島沿いに長い海岸線が太平洋に開いている。新宮から潮岬を経て和歌山市まで216Kmの長さの海岸線である。津波の高さは最大クラスの地震で10mを超える。県南部は20を超える場所もある。新宮市では最初に来る津波高さ(3m)より次の津波の方が高い場合(14m)もある。
大阪の高い津波被害は限定的である。ただし潮位があがると低地の場所では地下鉄や地下街が水没する被害が考えられる。
四国の徳島県では鳴門以南が津波の影響を大きく受ける。吉野川と那賀川河口では我国第1級の活断層が走っており、都市に人口が集中しているので津波や地震の被害が大きくなることが予想される。高知県は四国の中でも南海トラフの巨大地震による津波に最も警戒しなければならない。県のほとんどの海岸線は太平洋に面しており、海岸での津波高さは10mを超える。そして震源地との距離が少ないことからすぐに津波が押し寄せる。そしてさらに悪いことには高知市の地盤が地震によって1mほど沈下する。津波の影響をもろに受けやすくなる。愛媛県佐田岬以南が津波の影響を受ける。海岸線では5mを超える津波となり、場所によっては10mとなる。原発のある伊方、八幡浜市、西予市、宇和島市、愛南町が津波の影響が大きい。瀬戸内海側の津波の影響は相対的に小さい。
九州では日向灘までが震源地とされており、太平洋側の海岸線では津波が押し寄せる。及ぶ範囲は佐田岬半島と佐賀関半島までとされて、それより北へは津波は及ばない。南は鹿児島県東串良まで浸水深さが5mを超える地域が続いている。南海トラフ地震の震源範囲を日向灘で止めたため、九州パラオ海嶺で震源の想定はしていない。

1923年の関東大震災では10万人以上の犠牲者の内、9割が大規模火災による犠牲者であった。1995年1.17の阪神・淡路大震災では6500人の犠牲者のほとんどが家屋の倒壊や家具の転倒による犠牲者であった。2011年3.11の東北地方太平洋沖地震では2万人近い犠牲者行方不明者の大部分は津波による犠牲者であった。関東大震災の教訓は「グラッと来たら火の始末」、阪神・淡路大震災の教訓は耐震化家屋と家具の固定であった。2008年時点で住宅の8割は耐震化されている。過去に例のない災害は見過ごされがちである。それは海抜ゼロメーター地帯の災害である。海抜ゼロメータ地帯は関東平野、越後平野、濃尾平野、嵯峨平野など広く存在する。なかでも南海トラフ地震の影響を受けるのは濃尾平野である。伊勢湾の奥にある濃尾平野に高い津波が襲ってくることは少ないが、堤防の破壊は揺れによる堤防直下の地盤が液状化し、堤防の重みに耐えられず沈没するために発生する。ゼロメーター地帯は堤防によって守られている。このことは2015年9月の鬼怒川流域の堤防崩壊による水害の様子にも明らかである。

(つづく)

読書ノート 山岡耕春著 「南海トラフ地震」 (岩波新書2016年1月)

2017年03月21日 | 書評
M8-9規模の南海トラフを震源域とする巨大地震をどう予測し、何が起きるか、どう備えるかを考える 第7回

2) 最大クラスの地震とは (その2)

ここで少し地震のメカニズムを科学的に考えてゆこう。現在の気象予測はスーパーコンピュータを用いて世界中の20Kmごとの格子点の大気測定値(アメダスデータ)を取り込んで計算するものである。そこで用いられる方程式は、大気の流れの流体力学の微分方程式、水蒸気の蒸発と降雨方程式などを用いる。こうした気象の数値予測が行われ、天気予報や警報の発表がなされる。地震発生についてはコンピューターによる数値予報は研究中である。地震発生の数値計算がいかに難しいかを述べることになる。地震現象を支配する微分方程式とは、媒体である岩石層の歪と応力の関係式、字椎の正体である断層運動方程式を求めなればならない。近くの粘弾性値は温度によって変化する。深さ15Kmよりも深い場所では粘性的な性質が顕著となる。地震の発生は岩石の中で起きる急激な破壊である。これら断層面に沿っ多ずれの動機を支配するのが摩擦の法則である。摩擦とは固体と固体が接触する面のずれを抑制する。摩擦則は滑り(ずれ)速度と状態に依存する。滑り速度が増加すると摩擦力が減少する性質を「滑り速度弱化」と呼ぶ。接触の強弱の割合を「状態」と呼び、状態によって摩擦力が異なる。摩擦則はそもそも経験則であることに加え、パラメーターも空間分布も不明である。ということで現在の地震予測を数値計算から求めることはまだ不可能である。過去の地震履歴事例から地震を確率的に予測する手法の開発も進められている。話をもとに戻して南海トラフ巨大地震が発生した時、東京、名古屋、大阪といった大都市で何が起きるだろうか。政府や各自治体が発表した被害想定に基づいて考えよう。東京は南海トラフから離れているため揺れの強さは震度5強程度に収まる。伊豆半島や三浦半島の陰になるため東京湾の奥での津波もさほど大きくはない。東京では長周期地震動と呼ばれるゆっくりとした振動の影響が懸念される。高層ビルや石油タンクなど巨大建築物に影響が出る可能性がある。3.11東北太平洋地震でも千葉県市原市五井石油コンビナートで大火災が発生した。東京都内で地盤の揺れやすさが異なるので、低地や埋め立て地は揺れやすいので地盤の流動化が起きるだろう。高層ビルでは高層部の揺れが地表部に比べて大きい。家具・ファイル書棚・コピー機やPCによるケガを防ぐために固定化が必要である。東京では建物被害は少なくても交通への影響は大きい。このように短期的には東京への影響は限定的である。名古屋市は南海トラフ巨大地震の影響を最も受けやすい都市である。市内のほとんどの地域の震度は6弱以上で、名古屋の南部や西部の揺れやすい地域では震度6-7となろう。そして液状化の可能性も高い。津波については入口の狭い伊勢湾の奥にあるので影響は比較的小さい。名古屋市の想定では巨財地震の最悪ケースで建物全壊が66000棟、仮設住宅6万戸の建設費は3000億円、死者数最大6700人とみている。ライフラインや交通の停止による生活困難が待ち構えている。電力停電と固定電話が不通となり復旧するには数日から1週間ほどかかる。電力は水道にも影響する。長期間の交通マヒが続き鉄道再開まで1週間はかかる。大阪市も歴史的に南海トラフ巨大地震の影響を受けてきた都市である。安政の南海地震では大阪湾を襲った津波による被害を受けた。大阪は河川と運河の張り巡らされた都市であるので津波被害が広がった。大阪府がまとめた被害想定を見よう。南海トラフの巨大地震の最大揺れは震度6弱とみており、名古屋より1段低い。建物倒壊による死者は70人程度で見ているのは、大阪府の耐震化率は80%であるからだ。揺れによる被害は限定的であることに比べて、津波による被害は、此花区で4mの高さで地域全体が浸水する。大阪では地震発生からつ津波が来るまで1時間半から2時間かかる。大阪駅や梅田も浸水域となり地下街に侵入する可能性がある。大都会では地震後歩いて帰宅する避難者で大混雑する時間帯に津波による浸水が起きたら被害が拡大されるだろう。地震後4-5時間は避難した場所に留まる方が安全である。事前にハザードマップを入手して、よく付近の起こりうる事態を把握しておくことが大事である。

(つづく)

読書ノート 山岡耕春著 「南海トラフ地震」 (岩波新書2016年1月)

2017年03月20日 | 書評
M8-9規模の南海トラフを震源域とする巨大地震をどう予測し、何が起きるか、どう備えるかを考える  第6回

2) 最大クラスの地震とは (その1)

南海トラフで発生する巨大地震は、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とどのように違うのだろうか。南海地震はフィリッピン海プレートが沈み込む場所南海トラフ付近に震源域を持ち、太平洋東北地方は太平洋プレートが沈みこむ日本海溝付近に震源域を持つ地震である。プレートの年齢も暑さも自然条件もさらに社会条件も違いができる。地震発生様式えは、一言で言うと複雑さがまるで異なる。東北地方のプレート域では普段から地震活動が活発である。3.11の余震活動が非常に活発であり、その前からも多くの地震が発生していた。一方南海トラフ沿いでは普段の地震活動は穏やかである。南海トラフ沿いと日本海溝沿いの1930年以降におけるマグニチュード8以上の巨大地震発生頻度は南海トラフ沿いでは2回、日本海溝沿いでは3回とそれほど変わらないが、それより小さな地震の頻度圧倒的に日本海溝沿いの方が多い。日本海溝沿いの東北地方の地震の発生様式を見てゆこう。マグニチュード7.5前後の地震では東北地方三陸沖北部では、1968年5月十勝沖地震、1994年12月三陸はるか沖地震、マグニチュード7の地震は東北地方で8回も起きている。三陸沖中部では1896年に明治三陸地震、1933年に昭和三陸地震(M8.1)は沈みこむまえのプレートで発生したいわゆる「アウターライズの地震」であった。三陸沖南部から宮城県沖ではマグニチュード7.5から8クラスの地震が数十年おきに発生している。福島県沖では比較的地震活動は低調で、1937年のM7の地震だけである。茨城県沖ではマグニチュード7前後の地震が頻発して発生している。1943年、1961年、1965年、1982年、2006年の地震発生があった。2011年3月11日にこれらのすべてが震源域となった。つぎに南海トラフ地震の発生様式を見てゆこう。南海トラフ沿いでは普段の地震活動は低調であるが、100年から150年ごとにマグニチュード8クラスの巨大地震が発生している。1945年以降ではマグニチュード7クラスの地震は3つしかない。1948年、2004年に三重県沖で2回(M7.1M7.4)の地震発生である。この地震はプレート境界ではなくトラフ軸のプレート内部で発生した地震であった。南海トラフ沿いで地震が発生してもプレート境界面で発生するものは少ない。その理由はプレート境界の固着力が強く摩擦力に打ち勝っているからであるとされている。しかしずれるときには一気に巨大地震に成長してしまう。日本海溝東北地方と南海トラフ沿いの地域の自然条件によって、地震の揺れや津波被害が異なる。地震による揺れ(震度)の強さは主に二つの条件できまる。人遊は震源域との距離、二つは地盤などの地質構造である。3.11東北地方太平洋沖地震の震源域は南北500Km、東西200Kmの長方形であった。震源域の東側はプレートが沈みこむ日本海溝が限界になっている。西側は地殻温度が高くなってずれを起しにくくなる深さが限界となり深さは約50Kmであり、太平洋側の海岸線付近である。岩手県から茨城県にかけての500Kmで震度6強を記録した。南海トラフで発生する地震は伊豆半島から四国沖を通って日向灘までである。震源域は最大長さで700km、トラフ軸の直角方向に幅は100Kmである。限界は海側(南側)のトラフ軸まで、陸側は深さ30Kmとされている。東北地方に較べて浅いのはプレート年齢が若いためである。深さ30Kmはすでに陸の下にある。つまり陸地と震源域との距離は、南海トラフの方が東北地方よりも近い。その分だけ地震の揺れが強くなる。津波についても揺れと同様に震源域と陸地との距離が重要なポイントである。3.11東北太平洋地震では震源地が陸地から離れていたため、津波が届くのに時間がかかった。一番早かったのは岩手県釜石で30分後、福島県相馬では50分かかった。南海トラフ地震では時間的余裕はない。最短距離で3分、他の地域では20分後には津波が到着する。社会的条件の最大要素とは人口と産業の規模である。青森県・岩手県・宮城県・茨城県の人口の合計は約980万人である。一方南海トラフ地震で津波被害を受ける県としては、静岡県から鹿児島県までその人口は約3500万人である。産業規模は先の東北域4県のGDPは34兆円、南海トラフ域のGDPは136兆円である。南海トラフ巨大地震はいわゆる太平洋ベルト地帯と呼ばれる東西交通の要と大都市を地震と津波が直撃すると、政治的社会的な影響は甚大である。

(つづく)

読書ノート 山岡耕春著 「南海トラフ地震」 (岩波新書2016年1月)

2017年03月19日 | 書評
M8-9規模の南海トラフを震源域とする巨大地震をどう予測し、何が起きるか、どう備えるかを考える 第5回

1) 南海トラフ地震の特徴と歴史 (その3)

南海トラフでは600年以降を見ても、100年から200年の間隔でマグニチュード8クラスの地震が発生している。プレートの動きは地球全体のマントル対流の一部なので、急に方向が変わったり、休止するものではない。時間予測モデル(規模の大きな地震の後は長く休み、規模の小さな地震の休み感覚は短い)を用いた予測では、今後30年間で南海トラフの巨大地震が起きる確率は60-70%と言われるのである。過去の地震発生履歴から将来の地震発生を確率的に予測するためには一つの仮定と三つのデーターが必要である。整理して下に記す。
仮定: 「同じ規模の地震が一定の間隔で発生する」 固有地震モデル、または「同じ規模の地震発生頻度が一定」 ポアソン・モデル
三つの情報: ①平均繰り返し間隔 ②繰り返しのばらつき ③最後に発生した地震の時期に関する情報
地震確率予測は別にして、地震関連データーは着々と計測され蓄積されてきている。地震予測観測データーの一つは、GNSS(グルーバルナビゲ―ションサテライトシステム GPS)により観測される地殻変動である。国土地理院による全国1300点以上観測点が設置されている。 衛星電波を利用すると数ミリの移動測定精度も可能である。これにより日本列島の変形がわかる。不動の大陸が日本にはないので、対馬を不動点として相対的に表現している。中部から西日本全体は北西方向へ動いており、それも南海トラフ沿いの動きが大きい。地震時に飛び跳ねるためのエネルギーを着々と蓄積していることを示している。又地震計の記録から南海トラフ沿いにプレートが30Km沈み込んだ場所で「深部低周波地震」の分布頻度が高くなっている。ここはプレートがゆっくりずれるスロースリップ現象による地震である。プレート境界面に働く摩擦力はその場所の温度によって変化する。温度が300度よりも高くなると、境界面でずれが始まっても摩擦力は小さくならず、ずれの速さが大きくなればなるほど摩擦力が大きくなるという性質がある。南海トラフでおおよそ40Kmよりも深い場所である。ここは低周波地震を伴うスロースリップが発生する領域である。その場所でスロースリップが始まると歪は解消されるが、同時にさらに浅い場所のプレート境界の歪を増大させる。これが巨大地震の震源域となる。この作用はひずみエネルギーを深部から浅い部に運送されると表現してもいい。

(つづく)

読書ノート 山岡耕春著 「南海トラフ地震」 (岩波新書2016年1月)

2017年03月18日 | 書評
M8-9規模の南海トラフを震源域とする巨大地震をどう予測し、何が起きるか、どう備えるかを考える 第4回

1) 南海トラフ地震の特徴と歴史 (その2)

南海トラフの歴史を見てみよう。南海トラフ巨大地震は600年頃まで遡ることができる。古い文書記録が残っているからである。記録に残る最初の南海トラフ巨大地震は684年11月29日におきた「白鳳地震」で、紀伊半島の西都から四国沖を震源域として発生した。土佐に津波が押し寄せたこと、地盤が沈下したことなどが記されている。次は887年8月26日に発生した「仁和地震」である。紀伊半島東の遠州灘から四国沖までが震源域であった。津波で摂津(今の神戸)が大きな被害を受けたこと、京都で家屋の倒壊が多く発生した。次は平安時代後期の1096年12月17日の「永長東海地震」である。津波が伊勢や駿河を襲ったと記されている。2年後1099年2月22日には紀伊半島西で発生し、「康和南海地震」と呼ばれた。1361年8月3日紀伊半島から四国沖を震源域とする地震が発生した。摂津・阿波・土佐に津波被害があったとされる。1498年9月20日紀伊半島の東で「明応東海地震」が発生した。津波は紀伊半島から房総半島まで押し寄せた。浜名湖はこの地震で海とつながった。鎌倉まで津波が来たという。1605年2月3日被発生した「慶長地震」がある。犬吠埼から九州に至る太平洋岸を津波が襲った。揺れによる被害が記されていないので津波地震であったと考えられる。津波地震は沈み込んだプレート境界の最も浅い部分が狭い領域でずれたために起きる津波である。次は南海トラフで発生した歴史上最大の地震である「宝永地震」が1707年10月28日の発生し、マグニチュードは8.6と推定される。紀伊半島沖の西と東が同時に震源域になった。震度6以上の地域は駿河湾沿岸から九州東部まで及び、伊豆半島から四国まで5-10mの津波が襲った。三重県の尾鷲では津波は10mとなった。1ヶ月後の富士山が噴火し、江戸の大量の灰を降らせた。1854年12月23日には「安政東海地震」が発生した。震源域は紀伊半島東沖から駿河湾までであった。静岡県、山梨県は震度7となったほか、愛知県岐阜県三重県は震度6であった。その32時間後に「安静南海地震」が発生した。紀伊半島から九州までが津波に襲われた。1944年12月7日、紀伊半島南東沖熊野灘を震源としてマグニチュード7.9の巨大地震「昭和東南海地震」が発生した。静岡県・愛知県・三重県に強い揺れがおき、熊野灘沿岸には津波が押し寄せ、地震による死亡者は1183人と言われている。戦後になって包括的な調査が行われ1997年に報告書が出た。2007年に内閣府の報告書が出た。震源域の形状が楕円形で短軸方向に津波が高く、長軸延長上は津波は低かった。静岡県が長軸の延長と見なされる。短軸の延長は紀伊半島東側沿岸である。三重県の死者406人の多くは志摩半島より南部に集中した。伊勢湾内部は津波の高さが低かった。これは渥美半島と志摩半島が防波堤に役目を果たしたからであった。地震によるずれの全体像を把握するには今日ではGPSによる地殻変動データーや長周期地震波形を用いるが、当時はそのような技術はなかったので主に津波記録から推定した。「昭和東南海地震」の2年後1946年12月21日四国から紀伊半島を震源域とするマグニチュード8.0の巨大地震が発生した。「昭和南海地震」である。この地震により1400名の人が犠牲になった。紀伊半島から四国で震度6、濃尾平野や瀬戸内海で震度5となり、和歌山御坊には6.1mの津波が襲い、高知県須崎では5mの津波となった。津波被害は和歌山、徳島、高知県で顕著であった。全体としての震源域は紀伊半島潮岬沖から高知県足摺岬沖までとし推定される。地震における地殻変動で注意すべきは、フィリッピン海プレートは南海トラフから沈みこみ、上に載った近くを陸側に向けて押している。地震時にはプレート境界が一気にずれ動き、押し付けられた地殻が跳ね上がるのである。そのため岬では地殻が隆起し、離れた場所では地殻は沈下する。この地震で高知市は1mも沈下した。地震の後でゆっくり地盤が戻る(隆起)することを余効変動と呼ぶ。「昭和東南海地震」と「昭和南海地震」との間に、1945年1月13日愛知県東部を震源地とするマグニチュード6.8の「三河地震」が起きた。愛知県を中心に2300人の犠牲者が出た。この地震に因って地表に断層が現れた。蒲郡では1.5mも隆起した断層があった。又三河地震には1週間前から前震を伴っていた。三河地震は「昭和東南海地震」によって誘発された地震であると見なすことができる。プレート境界で起きる巨大地震の直後には、思わぬところで内陸直下型の地震が発生することがある。

(つづく)