ブログ 「ごまめの歯軋り」

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医療問題:新型インフルエンザ対策行動計画 パブリックコメント

2011年08月30日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年8月25日) 「新型インフルエンザ対策行動計画 パブリックコメント」 村重直子 東京大学医科学研究所 より

 投稿者は「さらば厚労省」(講談社)の著者で、一時期厚労省の役人だったことがある。今厚労省より「新型インフルエンザ行動計画」(改訂版)に対する意見募集が8月29日まで行われており、それに投稿者が意見を寄せたその抜粋であると云う。日本医師会は医師らが感染した場合の保障制度の創設を要求しているが、それにたいして厚労省は一般医療行為とは区別して「診療従事命令」を出そうとしている。その狙いと問題点を指摘したい。
①まず厚労省の情報開示が片手落ちであること。行動計画だけを開示し法令の条文も同時に開示しなければ、国民に対する情報の非対称性があまりに大きく、国民は正しい判断が下せない。
②「診療従事命令」とは空港や保健所、検疫所に通常医療行為から医師を強制して引き剥がすことになり、人手不足の状況を加速する。もともと水際では止められない新型インフルエンザの検疫に税関職員以外の医師を従事させることは賢明ではない。徴兵に似た制度であり医療従事者の人権にかかわる。
③「地域封じ込め」では交通遮断を考えているようだが、そんな局地的孤立状況で患者が発生するわけではない。日本列島のどこかが伝染病の源発生源になるとは考えられない。社会のインフラや流通を考えれば、今時ありえない想定である。いかにも時代遅れの強権的官僚行為で人権侵害の恐れが懸念される。

読書ノート 石橋克彦編 「原発を終らせる」 岩波新書

2011年08月30日 | 書評
原発安全神話は崩壊した、原発から脱却することは可能だ 第15回

11)「エネルギーシフトの戦略」 飯田哲也  環境エネルギー政策研究所所長

 日本のエネルギー・原子力政策はエネルギー安全保障でも、地球温暖化対策でも、原発安全性においても手ひどい失敗を重ねながら、政官財の古い構造に支えられて存続してきた。根強い「20世紀型パラダイム」に留まって居る深因には三つある。①日本的に特異化した「知のガラパゴス」という状況、②各省庁が独立王国のように政治的決定を繰返す「仕切られた多元主義」、③電力体制が江戸幕府の藩のように「地域独占性」と生産から流通までの「垂直統合」という、企業にとってきわめて合理的で効率的な体制が自由な進歩を阻んでいる。今回の巨大地震と原発事故は日本のエネルギー政策を根本からなりなおす機会を与えているのではないだろうか。世界の自然エネルギーへの投資額は2010年には20兆円規模と拡大している。しかしその市場はほとんどが日本の外にある。地球温暖化の実施により国内経済GDPがどれだけ低下するかという経済モデルでは国民一世帯当たり36万円の負担増となるといった、分りやすい誤りに陥ったままである。過去の公害規制が産業界にイノベーションを引き起こし、経済成長をもたらしたという「ポーター仮説」が重要である。大規模企業やエネルギー多消費産業が蒙る損害ばかりを計算し、省エネ家電・電気自動車・太陽光発電といった「エコロジー近代化」側面を見ていないのである。欧州では2000年以降、風力・太陽光・天然ガスといった「クリーン御三家」へのシフトが加速した。1990年から2007年のGDPの増加と炭酸ガスの増減を見ると、日本は炭酸ガスは10%増加してGDPの増加が20%に留まっている。それに対して欧州各国の炭酸ガス減少率は10%-20%で、GDPは30%ー50%も増加している。欧州の電力構成は天然ガス・風力・太陽光の順であり、日本は石炭・石油・原子力・天然ガスという順である。「エコロジー近代化」とは「環境政策に経済原理を活用し、経済政策に環境要素をとりいれる」ということである。日米では1980年代ー1990年代の新自由主義(新保守主義)で環境政策が著しく弱体化した。地球温暖化対策COPにおいて、学会と環境省は「エコロジー近代化」思想を学習してきたが、環境問題への経済的手法の導入に経産省などの旧世界は頑固にこれに反対してきた。1990年より欧州はエネルギーシフトを成し遂げたが、日本は短期的に低コストであった石炭発電を復活させ、石油から石炭にシフトしただけであった。ドイツでは自然エネルギー発電を6%から17%に増やし、今後の10年で25%を目指している。日本でも自然エネルギーの「固定価格買取制度」による需要喚起型の普及政策に改めなければならない。
(つづく)

文芸散歩 金 文京著 「漢文と東アジア」 岩波新書

2011年08月30日 | 書評
漢文文化圏である東アジア諸国の漢文訓読みの変遷と文化 第4回

1) 日本の訓読の歴史 (その1)

 論語の一節に「子曰 学而時習之 不亦説乎 有朋自遠方来 不亦楽乎」を「子曰く 学びて時にこれを習う また説ばしからずや 朋有りて遠方より来る また楽しからずや」とよむのがすなわち訓読である。つまり訓読とは、本来外国語である漢文を一定の方式により日本語に翻訳(読み下す)する方法である。そこには 二、一、∨などの中国語の語順を日本語に直す記号(返り点)が使われ、原文には無い助辞、動詞などの変化を送り仮名としてしめすほか、漢字本体も学(ガク)を「まなぶ」、時(じ)を「とき」、朋(ホウ)を「とも」というふうに日本語の意味を宛てて読んでいる。言語は民族の数だけあるといわれるが、現実世界の共通言語は大きくは、ラテン語系、アラビア語系、漢文系に3つに分けられる。東アジアの主要言語は漢文(中国語)であるにせよ、周辺国家の言語は中国系とはいえない。中国語は孤立語、周辺国家は「てにおは」で文を構成する膠着語で文法も中国語とは異なる。欧州の英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語などの方言程度の近さとは比較にならない。近隣諸国では中国語は極めて難解な言語であった。中国語の四声音という「声調」は、テレビで中国の指導者が演説するときの調子のよさで実感できる。平坦な発音しかない日本語、朝鮮語には声調が脱落している。漢詩を作るときの約束事「平仄」は日本人にとっては単なる約束事に過ぎず、漢詩を音楽として、韻として感じられる日本人は少ないだろう。日本の詩歌の韻律は言葉の数の組み合わせからくるリズムであってメロディーではない。日本がはじめて漢字を受け入れた4-6世紀の中国(三国志の時代)は南北に分裂しており、日本は地理的に交通が便利であった南朝の呉の発音「呉音」が朝鮮経由で入ってきた。人を「ニン」、間を「ゲン」、口を「ク」と発音した。後世唐時代に遣唐使を通じて学んだ言語は「漢音」である。人を「ジン」、間を「カン」、口を「コウ」と発音した。訓読みでは人を「ヒト」、間を「アイダ」、口を「クチ」と発音した。つまり]訓読みは本来翻訳である。中国語を話す公式の場の必要はなく、読むだけなら意味が取れればいいのだから、いっそ日本の意味で漢字を読んでしまうことになるのは必然である。「訓」とは、解説して教えるという意味で、とくに儒教の経典を教えるための注釈をさす。これを「訓詁」という。中国語のなかの経典の「訓詁」と、それを日本語で解説する「訓詁」には大きな距離があるが、日本のそれは「和訓」である。日本語読みを大きくみれば中国語の方言読みとみなしていたのではないだろうか。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「新涼入居」

2011年08月30日 | 漢詩・自由詩
早涼餞夏暑風疏     早涼夏を餞して 暑風疏なり
 
素昊先入水竹居     素昊先ず入る 水竹の居

颯颯商聲紅葉落     颯颯たる商聲 紅葉落ち
 
蕭蕭払階緑楊疎     蕭蕭と階を払て 緑楊疎なり


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(韻:六魚 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)