ブログ 「ごまめの歯軋り」

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アメリカの金融不安  証券化商品処理は未経験

2008年09月29日 | 時事問題
■ 村上龍、金融経済の専門家たちに聞く 
 アメリカでは金融不安が続いています。この事態は、日本経済にどのような影響を与えるのでしょうか。

2008年9月29日発行JMM [Japan Mail Media]
 ■ 土居丈朗  :慶應義塾大学経済学部准教授
 アメリカ経済が風邪を引けば日本経済も風邪を引くということで、アメリカ経済の行方を心配する向きがあります。もちろん、日本経済への影響としては、
(1)金融不安に伴うアメリカ経済での景気後退によって、日本からの輸出が低迷し(さらには欧州や新興国の経済の成長率低下により欧州や新興国向け輸出も低迷し)、日本の経済成長率が低下する、
(2)アメリカの金融不安が世界的な信用収縮に発展し、日本でも(深刻ではないにせよ)資金供給が鈍化して、企業の資金繰りや住宅ローンがタイトになり、投資が低迷して日本の経済成長率が低下する、といった実物面、金融面からの影響が考えられます。

日本は、1990年代に住宅金融専門会社の問題、大手金融機関の破綻とその後のコール市場の混乱、公的資金注入による破綻金融機関の国有化を経験しましたから、今アメリカで起こっていることの多くは似た経験を済ませている。しかし、
証券化商品やCDSの対処は、日本のみならずアメリカでも未経験がゆえに、もしこれに端を発した悪影響が及べば、日本経済に予期せぬ事態が起こるかもしれません。


 

読書ノート 橋本治著 「日本の行く道」 集英社新書

2008年09月29日 | 書評
今の日本の社会はどっかおかしい もうひとつの選択肢を 第7回

第二章 「教育」の周辺にあったこと (2)

経済成長期は「一億総中流」を目指すといわれたが、バブル崩壊後1990年代後半より国民の間に格差が生まれている。「格差社会」は流動的・相対的かと思いきや、実際は相互行き来のない「隔絶社会」になりつつある。あるレベルから外れたらもう生きて行きにくくなるのである。閉塞社会ともいわれる。世襲制は皇族と歌舞伎役者の特殊社会の事か思っていたら、政治家、タレント、官僚、役所職員にまで及んでいたのである。社会階層も着実に世襲されている。イギリスのような階級身分社会に近くなった。昔あった「貧乏人」という枠もなく、ワーキングプアーは社会から見捨てられるのである。「貧乏は賎しい事ではない。むしろ将来へのばね、団結のよりどころ」と明るく捉えていた貧乏人がいなくなった。彼らには絶望的な疎外感しかないのである。そして彼らに浴びせられる言葉は「自助努力」、「自己責任」という切り捨てです。生活保護の打ち切りで餓死した人がいました。「自立の意志あり」で「支援の必要はない」にすり替わるのだ。これは悪質な誘導質問である。「自立=自己責任=切り捨て」と云う悪意に満ちた三段論法である。


経済問題  富田俊基著 「財投改革の虚と実」 東洋経済新報社

2008年09月29日 | 書評
財政投融資の実の改革は財投事業の見直しだ 第7回

第一章「資金調達の仕組みの改革」 (2)


財投機関の資金調達はまず主務大臣の許可を得て財投機関債を発行し自己調達することになった。しかし財投機関の民間市場での資金調達が困難であったり、超長期の条件が不利な場合は、国会の承認を得て国の信用で調達した財投債の貸付を受ける。財政融資資金特別会計の中で発行できる公的企業債務である。これに対して国債は将来の税収入を償還財源とし60年償還ルールが適用される。2006年3月国債引受シンジケート団制度が廃止され、国債は全て公募入札方式となった。2000年度から始まった財投債の10.5兆を追加して国債発行額は98.5兆円となった。郵貯・年金の預託金残高は387兆円であったので、初年度は半分を引き受け漸次貸付を縮小し2007年度には35兆円まで減少した。財政投融資計画残高も2000年度の400兆円をピークに2006年末で300兆円を下回った。財投債の貸付金利は2007年度で5年物では1.3%、15年物で2.1%であった。国民生活金融公庫、奨学資金などの政策金融機関オ貸付金利は国債金利をベースとする。日本の企業は国債金利とそれとのスプレッド(格差)で設備投資のタイミングを量るので、国債金利は経済の位置確定といっても過言ではない。

政府保証債とは財投機関が発行する債券の元利償還金を政府が保証する債権である。政府にとって原資は必要ないが、国のオフバランスシート(簿記外)の債務で、国民負担につながりうる債務である。もともと法人に対する政府の保証債の発行は禁止しされているので、毎年厳密に審査した上で限定的に発行される。地方企業金融公庫は100%政府出資の機関であるので、政府保証債で資金を調達してきた。財投原資にしめる政府保証債の割合は1990年代は5.2%に抑えられてきた。2004年民営化の方向が出されている道路関係四公団の資金調達は政府保証債に依存することになり、2007年度の財投計画にしめる政府保証債は33.2%に急上昇した。2006年行政改革推進法によって、国の資産・債務改革が行われ、今後十年以内に財政投融資貸付金は130兆円圧縮することが定められた。



文藝散歩 五味文彦著 「源義経」 岩波新書

2008年09月29日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第20回

6)平家追討の英雄ー「平家物語」より (5)

平大納言文沙汰
捉われの平大納言時忠は櫃に入れた文書を義経に差し押さえられ、それがどんな災いを身にもたらすかを心配して、子息讃岐中将時実に相談した。息子が云うに義経は女に弱いので、娘を義経に差し出せば簡単に取り返せる。と云うことで二十一歳になる姫君を義経の側室にいれ程よい頃に娘がうまく言いなして、判官はまだ封も解かずにいた文櫃を平大納言に戻した。この頃都には「判官こそが天下第一の人、鎌倉の頼朝は何も出来ない」と云う噂が出てきた。これは義経側の驕りか陰謀か。

副将被斬
元歴二年五月六日、義経は大臣を連れて鎌倉に下る事に決定した。大臣には八歳の若君がいたが、将来これを副将にする思いで副将義宗と云う呼び名がついていた。別れの前日に若君と大臣は面会して別れを惜しんだ。副将を預かっていた河越小太郎重房は義経に伺い若君の処分を任されたので、六条河原で重房は副将の首を討った。付き添った二人の女房は首と亡骸をもって後日桂川に身投げをしたという。

腰越
五月七日九郎判官は大臣親子を警護して鎌倉に向った。梶原平三景時は判官より先に鎌倉に着いて判官の非を訴えれば、頼朝は都での噂や武将の意見も聞いて判官あやしと睨んだようだ。奇襲に長けた義経を警戒して軍を七重八重に置いて義経を寄せ付けず、大臣親子を受け取って義経を腰越に追い返した。この兄の仕打ちに義経泣くに泣けず、六月五日大江広元に手紙を書いて詫びととりなしを頼んだ。関東源氏は誰も義経を将軍とはみなさなかった状況で、義経の文はまさに「ヤマトタケル」のような戦に明け暮れ猶都に戻れない境遇に共通するものがあり涙を誘うようだ。

大臣殿誅罰
鎌倉殿、比企藤四郎義員を介して平家の大臣を尋問されたところ、大臣は変に居直ったので鎌倉殿は印象を悪くしたようだ。六月九日大臣親子を受け取り義経は都へ戻る事になった。二十三日近江国篠原宿に着き親子は別々の場所に移され、大臣には本性房湛豪と云う聖が引導を渡した。首切り役は橘右馬允公長という元は新中納言の侍であった。二十四日大臣親子の首が都にはいった。「生きての恥、死にての恥、いずれも劣らざりけり」


自作漢詩 「秋雨宿雁」

2008年09月29日 | 漢詩・自由詩
身在寒烟宿雁     身は寒烟に在て 宿雁啼く

江邊藪沢一枝     江邊藪沢 一枝の栖

沿階迷来翅垂雨     階に沿て迷来り 翅は雨に垂れ 
   
墜地低頭飢啄     地に墜ち頭を低れ 飢て泥を啄む 

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(赤い字は韻:八斉 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)