ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 徳永恂著 「現代思想の断層ー神なき時代の模索」 岩波新書

2010年07月02日 | 書評
ニーチェ は神を殺したが、20世紀の思想家達の模索は続く 第6回

マックス・ウェーバーと「価値の多神教」 (3)

 わずか数年間の大学での講壇活動の後、10数年間重い精神神経疾患に悩まされた。プロテスタンティズムの倫理観からくる「職業への義務感」が彼の病状を重くしてきた。そこでハイデルブルグ大学教授の職を辞任し療養に専念した。大学教授の重責から脱したウエーバーは、病状が良くなり「社会科学及び社会政策雑誌」の編集に従事して社会科学の理念と方法に進んだ。1904年「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の執筆を中断して、セントルイスで行われる国際学術講演会に招待されて渡米した。「ドイツの農業事情」という公講演をそれなりに成功させ、ヤンキーの東海岸から南部への旅行に出た。そこで「奴隷黒人問題」から「ユダヤ人問題」を観察し、アメリカに移住したセファルディ系の西欧ユダヤ人とアシュケナージ系の東方ユダヤ人の「賎民バーリア」の金融業者としての黒人搾取を目の当たりにした。ウエーバーの代表作「社会科学的認識の客観性」は社会政策と社会科学の差異を明確化することにあり、「価値からの自由」を旗印に社会科学の独立をめざしたが、社会哲学とは重なり合うことが多かった。アメリカから戻って「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が完成した。ウエーバーはドイツの歴史学派の申し子であったが、歴史から経済史、文化史そして普遍史へと変遷を遂げる。渡米前は経済史から文化史へ、帰国後は文化史を超えて普遍史へ向かう方向が予見された。論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」はむろん「資本主義の起源」論争で提起されたものである。ゾンバルトは「人間の利益追求ー商業活動ー富の集積」という形で資本主義成立史を描いたが、ウエーバーは利己心や物欲ではなく、理念や倫理という意味で精神に独自の意味を与えた。ウエーバーは「カルビニズムー世俗的禁欲ー職業への献身ー合理的生活ー経営行為ー資本主義」というスキームを描いた。世俗生活としての職業活動に宗教的使命ミッションという意味を与えたのはルターであった。もう一人のプロテスタントであるカルビンは不安定な状況の中でなお「救いの確実性」のわずかな保証を世俗的な職業生活の勤勉に求めた。そして救済という価値のための手段であったはずの職業的勤勉は、それ自体が目的化して,利潤の効率的増大が倫理的目標となったとするプロセスである。アメリカで見た「ユダヤ人問題」は悪玉資本主義の起源を悪玉ユダヤ人に押し付ける左右の「反ユダヤ主義」に対する反証となった。アメリカ訪問の成果は「宗教社会学論集」に収められた「プロテスタントの倫理」に、欧州では失われた清冽なプロテスタントの活力がアメリカで今なお生きていることを発見した。それは同時に「アメリカの欧州化」という末路を予見するものであった。文化史から普遍史へのウエーバーの思考が読み取れる。
(つづく)


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