ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「昔話と文学」(角川ソフィア文庫 2013年8月)

2018年01月11日 | 書評
昔話と説話文学の接点から、物語の変遷を読む 第5回

3) 花咲爺

この昔ばなしはその分布が全国に及んでいない。そして記録文芸の影響を受けることなく、民間の説話として自由に変化していることが特徴である。隣の爺婆型の話と同様にヴァリエーション(変化)が激しいのである。花咲爺の標準型では老人夫婦が犬を飼う理由が述べられていないが、越前坂井郡の話では、爺が三国の港に子を貰いに行く途中、白い子犬が現れて申し子にしてくれというのが発端で、それから爺と婆は我が子のように子犬を育てた。犬を山につれてゆくと「ここ掘れわんわん」というので掘ってみると金銀の財宝がでて爺婆は裕福になったという。これを見た隣の爺が犬を借上げ、粗末なえさをやって山に行くと何も鳴かないので怒った隣の爺が犬を殺して埋めた。犬を埋めたところから松が生え一夜にして大木となった。それを伐って臼を作って米を搗くと「ポポンのポン」と金が出た。隣の爺がこの臼を借り受け臼を搗いても出てくるのは砂ばかり。怒った隣の爺は臼を焼いてしまったというのでその灰で枯れ木に花を咲かせた。殿さまの耳に入り頼まれて枯れ木に見事な花を咲かせたのでご褒美を戴いた。隣の爺は殿さまの前で灰を撒いて自分の目に灰が入って転げ落ち、それを婆が木で打ったという。これを基本形とし(原型)として、ほかに色々に変化した話を列記している。奥州五戸や肥前島原や備前岡山では授かった子は小さな田螺であり、羽前東田川郡の話では川の上流から流れてきた香箱に子犬と猫が入っており、打ち出の小槌と延命小袋で爺婆の家を裕福にしたという。筑前鞍手郡の話では海神から子犬を授かり大事に育てると、金銀のありかを爺に知らせて裕福になったが、隣の爺が現れて以降は普通の花咲爺の話に同じである。この水の神のお礼が子犬であった代わりに、猫だの石亀、馬、醜い男の子であったりした話が多く全国に残っている。筑前宗像郡や豊前築上郡の話では石亀である。鹿児島の南喜界島の話では、善良な弟と強欲な兄が登場し、弟が水神様のお礼で竜宮に行って子犬をもらって帰ってくる。大事に育てていると犬は弟の狩猟の手伝いをして猪をたくさん獲てくるのである。兄が犬を殺して埋めたところから竹が生え、天に届いて米が降って来た。これ以降は標準型の話に同じである。奥州の灰撒き爺(雁取り爺)と花咲爺の話を比較すると、元来は善悪二組の爺婆が、一方は幸運に恵まれ家は富み栄え、羽藤はすべてがその逆になって破綻する話郡の総称であったようだ。これらの昔話は東北の各地にわたって20近くあるそうである。些細な点は異なるが、概略は基本形に則っている。古い民間説話が童話に流れる道と、いわゆる笑話化とは本来は別々の流れであった。童話には哄笑爆笑は必ずしも比須のものではなかった。しかし童話のつぎはぎを繰り返しているうちに、子どもを笑わすことが昔話と理解するようになった。花咲爺の分布が著しく中央部に偏し、地方では「雁取り爺」のような粗野な話になったのは文学の素養を持たなかったためである。物を改める力は都会の方が強い。否かは律儀だが保守的で、思い切った改良を施すだけの力がなかったといえる。近畿中央部の童話において、子犬が人間の子のように大事に育てられ、子犬が人間の言葉を発するという点においては前代の大切な名残が遺されている。東北地方の雁取り爺話では事件が三段(ここ掘れわんわん→臼から米・小判ざくざく→灰撒きで花が咲く)に展開するが、竹伐り、猿地蔵、団子浄土など多くの隣の爺型の昔話は1回きりで運・不運が決着する。悪い欲張りの隣の爺は結果を希求するあまり1回で失敗し反省する間もなく破綻する。中国においても日本の花咲爺と同じような内容の「枯樹開化」という話がある。どちらが輸入かどうかは判別しないが、中国文化輸入の最前線にいた遣唐使の知識が説話を接近させたことは考えられる。世界の諸民族の説話にはいまだ説明のつかない理由によって一致する点が見られる。一概に輸入とは言えない。中国とインドという文明国間の交流は(仏教にみるように)よくあることであるが、東海の離れ島の日本ではガラパゴス的進化があるため悠久の時間と距離を隔ててもなお奇しくも一致することは皆無とは言い切れない。日本的な変化の積み重ねを明らかにすることがまず大切であるという。

(つづく)
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