ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

小林秀雄全集第6巻 「私小説論」より「地下室の手記」と「永遠の良人」

2006年12月01日 | 書評
「地下室の手記」と「永遠の良人」

まずこの論文は未完であり、「永遠の良人」については何も述べられてはいない。まして2つの作品の連関や比較などは未完である。したがって「地下室の手記」論とシェストフの「悲劇の哲学」批判と題名変更をしなければならない。
本論の目的は言うまでもなく、シェストフの「悲劇の哲学」がでっち上げたドストエフスキー像から小林氏が別の像を作り上げるところにある。ドストエフスキーが言いたかった信念の更正とは「民衆の最低の段階まで自ら下ってみて、国民的根源へ、ロシア魂の認識へ、国民精神の是認へ立ち返る信念のことである。」
「地下室の手記」の目論みは、世間のおきてに抗して、狂人となって最大限に自意識を燃え上がらせることであった。小林氏はドストエフスキーの人間学の独創性を次のように定義した。「19世紀の人間つまり主人公は無性格でなければならない。読者が捕らえようとしても困惑するほどあらゆる性格が与えられそれがほとんど意義をも持たない行為にある。主人公の意識は固定できないし、実体的なものから成立していない。それは意識の流れる音である。」
分かるかなー!!わからねーだろうなー!!と小林氏の笑いが聞こえてくる。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿