ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート  橋本治著 「日本の行く道」  集英社新書

2008年09月28日 | 書評
今の日本の社会はどっかおかしい もうひとつの選択肢を 第6回

第二章 「教育」の周辺にあったこと (1)

昔いた「いじめっ子」、「不良」は何処へいったのか、いついなくなったのだろうか。いじめっ子には貧しい家庭や職人の子が多かった。彼らは学校では存在価値がない鼻つまみ者でも、学校の外では徒党を組んで暴れるヒーローの世界を持っていた。それは前近代的な社会であったかもしれない。それは「他者が他者でいて平気な社会」である。画一化されていない歪なバロックの世界である。だから彼らがいなくなったのは高度経済成長期である。昭和30年代おわりから40年の「団塊の世代」からである。金の卵といわれて集団就職で上野駅に着いた中学卒の時代から、経済成長で社会は豊かになり進学率は高くなって受験戦争が始まった。その世代は1970年には大学闘争、第二次安保闘争、赤軍派などを生み出し左翼学生運動のエネルギーが爆発して壊滅した。その時代大学は大衆化し就職の窓口であった。親の学校への理解は単純で学校=受験で、子供は受験に追い込まれた。1970年代前半の経済成長期は実は子供達がストレスを溜め込んでゆく時代で、「家庭内暴力」で鬱積した感情を表現した。「家庭内暴力」は深化して「家庭内殺人」に変わった。高校では「ツッパリ」、「ヤンキー」という学校に適合できない高校生も増えた。1980年代は尾崎豊に象徴される「荒れる学校」である。1977年授業時間の削減が決定されて以来、学校5日制や「ゆとり教育」が強調された。激烈な受験勉強を意味のないことと感じ始めた子供達の中で、エネルギーの不完全燃焼が「学級崩壊」をひきおこし、「陰湿ないじめに熱中」と云う変な事態を生んだのかもしれない。ところが21世紀になって「ゆとり教育」が「学力低下」を招いたとして、今度は授業数の増加が叫ばれている。かくかように生徒たちは世の中の動きに翻弄されているのだ。




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